ネガティブなことは言ってもよい

だからまあ、どこの誰かも知らん人のネガティブ発言を聞いてるヒマなんかこれっぽっちもない。
ストレスばっかりたまっていく。

もうちょっと説得力のあるというか、全体の最大幸福のための話だと、
要するにネガティブな発言を吐いても、主体も客体もだれも幸せにならない。
建設的でないからそんなことを言うのはやめろ、
(私はいいけど)他の人が迷惑するからやめろ、という感じで主語が大きくなる。
http://anond.hatelabo.jp/20110813021554


「ネガティブ発言は不幸になる、ポジティブ発言は幸せを呼ぶ」というのは一見真実に思えるが実際はそんなことはない。ポジティブ発言が幸せを呼ぶのなら、理不尽なことが起こる世の中や人生においてそんなに簡単な方法が存在することがありがたいことだと思う。

なんでも、程度や時と場所によるのは当たり前で、一般論化して決めつけて何かを排斥したり強制したりする行為のほうがずーっと怖いのである。

ポジティブ発言しかしない社員の会社は、案外ブラック企業だったりするんです。ブラック企業で社風に染まってたら(洗脳されてたら)幸せでしょうが、実際問題本当に幸せなんでしょうか?そのようなことは、第二次世界大戦の日本でも起こった現象です。ボロボロの状態なのに、みんなで一致団結してポジティブ発言強制で、結果よくなったでしょうか?

極論すぎと思うのなら、結局はネガティブ発言においても同様のことが言えるわけです。人間は光と闇の部分があって光だけで存在することはほぼ不可能です。下手に闇の部分をすべて消去しようとすると人格が崩壊したりする危険性さえあります。

ちょっとした会社の愚痴、人生の愚痴、人間関係の愚痴、そんあんものは普通なんです。確かにそういうのを聞かされるのはつらい時もありますが、心に余裕があってあなたが幸せなら十分許容して流せる程度のものなんです。

他人のそういうものが極端に許せないというのは、心に余裕がない状態かもしれません。心に余裕の内容体で、ポジティブ発言したってそれはポジティブ発言でないことが多いですし、実際問題その発言はポジティブな方向に進むことも少ないわけです。ますます、自分自身を追いつける結果になる人もいるわけです。ようは、頑張りすぎてる状態かもしれません。下手するとオーバートしてしまう状態なのかもしれません。

物事を変えるのに、ポジティブ発言だけで変わるわけではありません。もちろん一部は変わりますし気持ちもかわるでしょうが、お金がほしい、恋人がほしい、出世がしたいとかそういう物欲的な場合は行動も伴わないとダメなのは明らかです。行動が伴うからこそ変化があるわけです。

目一杯がんばってると、ネガティブ発言をちょっと聞くだけでも、いらいらとしたり生理的に受け継ないとかの状態になる人もいます。そういう状態はバブルと同じではじける危険性があるのです。

ポジティブだって危険性があります。

みんなが何かを頑張ろうとしてる時に、ネガティブ発言されると気分がよくないことは確かです。またみんなでなくて、あなたが何かを頑張ろうとしてる時でも同じでしょう。ただ、その程度でくじける頑張りや、その程度も許容できない心の狭さは問題ではないのでしょうか?

ポジティブ発言信仰者がいうように、他人を変えるより自分を変えるべきだと言うのはすごくもっともなことだと思います。しかし、ネガティブ発言する人を何とかしようとする態度はそもそもこの原則に反してるのではないでしょうか?ネガティブ発言をする人を変えることは同様に難しいので、ネガティブ発言する人をどう受け止めるかを考えるのがポジティブ発言信仰者の本来ある姿でしょう。

起業家や企業家にポジティブ発言信仰者が多いですが、成功してるのはごく一部です。まあ、目一杯、自分を追い込んで行動しないと成功しにくい傾向にありますので、ポジティブ発言信仰者になるのが合理的なのは合理的です。

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