金持ち以外は、みんな「相対的貧困」者です

月17万円でも苦しい…「理想の貧困」の誤解、家計簿でくつがえす - withnews(ウィズニュース)


世間がマスコミが、貧困というものに期待するのと、実際の貧困が違うという論理が成立するのなら、「相対的貧困」も同じなんじゃないかなぁと思うけどね。

概念自体は、悪くないと思うけど、でも何でもかんでも「相対的貧困」という名前で肯定しだしたらおかしくなるよね。

まずは、貧乏だと自称する人がいても、そうですか?って大抵はなると思うんですね。
でも、貧乏だから、生活保護受けたいんですとなれば、「貧乏」にたいして評価せざるを得ないよね。

実際は知らないけど、そういうのを生活保護の受付窓口でやってるんじゃないの?でもって、市民団体とか弁護士とかと一緒にいくと、審査が通りやすいとかになってるんじゃないの?

それはさておき、
貧乏=>貧困
生活保護=>社会的に支援、公的に支援
と用語をかえて、少しアレンジするだけで、急に「貧困」とは対応が変わってくるんでしょうか?

つまり、貧困だっていうのは自由で、だれもそのことを非難したりはあまりしないと思うんですよ。
貧困だというキーワードと、それに付随して主張してることは一切ない?のなら、批判?非難?しようがないと思うんですね。

社会的に支援すべきだという話になったら、貧困といってもxxxをもってるし貧困とは思えないっていう話になるんじゃなないぁなぁと思う。
つまり、生活保護と同じで、貧困を評価せざるをえないわけですよね。

相対的貧困を非難しているという、嘘ロジック

・相対的貧困なので、社会的支援がほしいです

この論理の場合は、貧困でないというのを崩すのが一番手堅いから、そこを検証するんでしょう?

相対的貧困は認めるけど、社会的支援はナシかな?という論理もあるけど、でもそんな論理逆に、受け付けてくれないですよね。
相対的貧困を認めたら、自動的にこれも認めるのが普通とかになってませんか?

「1~2万円の支援」と「1~2万円の節約」

低所得だと、1~2万円の支援でもかなり違うということは事実だろうけど、じゃぁ逆に1~2万円の節約でも同じわけですよね。少し節約して、状況が改善されるのなら、節約を勧めるのは悪いことなのか?ってことです。我慢を強いるのはかわいそう、不憫とかいう話もあるけど、でも自助努力はしてもらわないと困りますよねという社会の論理もあると思う。

17万円で家族3人は大変だ

でも生活実感ない人たちは、17万円で一人でも大変だという結論もありえるんですよね。
でもって、実際に17万で一人というのは、大変でないとは言えない場合もあるでしょう。

つまり、この論理って、金持ち以外は、みんな「相対的貧困」者ですに成り下がってしまいかねないと思う。
だって、擁護的な使い方をしていたら、線引きなんてなく、擁護にするので、際限なくなるんですよね。

バブル自体のお金があっても「心の貧困」

たぶん、相対的貧困で使われているロジックって、心の貧困の焼き直しっぽいと思う。心の貧困もべつに悪い概念でないと思うけど、でもそういう言葉をつかって、何を主張するかによるよねというのはあると思う。

なにか貧困をみつけて、解決しないと世の中良くならないとかいう強迫観念みたいなものがあるのかもしれないなぁとは思う。

マスコミが世間が貧困に勝手なイメージを持ってるように、相対的貧困を叫んでる人も、勝手なイメージを押し付けてきてるような気がするけど・・。

貧困、相対的貧困、心の貧困は、子供たちにあるとは思うけど・・・

まずは、生きる死ぬの人から救わないとねというのはあると思う。
生活保護がその目安で、生活保護うけないでも生活できるのなら、そこまでの貧困だとはいえないという話は成り立つと思う。

・生活保護
・年金
・健康保険

で、なんでもかんでも広げて、救っていこうという路線は、予算がないと破たんするっていうことを学んだんじゃないの?というのはあるけど、そういう心配する人の一部は「相対的貧困」を安易に認めないと思うよ。

別に、困ってる人を助けてあげたいという気持ちは悪くないと思うし、どちらかといえば立派なことだけど、でも、それを社会に頼りだしたら、自身の気持ち以上のものが必要だよねという話になると思う。だって、社会は、「相対的貧困」に文句を言っている人たちのものでもあるわけだから。

個人的なお金で、勝手に慈善事業をする分にはアレコレ言わない人ほとんどだと思うよ。
あと、本当に貧困なんですというアピールをするだけなら、スルーしてくれる人ほとんどだと思うよ。

でも、社会が支援すべきだとか、当事者と関係ないものに依存するのなら、話は違うと思う。

世の中の無理解が、不幸を作り出してるのか?

たぶん違うでしょうね?
救うためのお金がないのが、不幸を作り出してるんだと思うけどね。

お金が有り余ってたら、「心の貧困」とかにも触手を伸ばして、助けてあげようという話に社会はなるわけだから。

貧困じゃないけど、貧困なんです

なぜそうなるかといえば、

貧困(貧乏)だと言われると自尊心が傷つくけど
でも、支援はほしいっていう人間の微妙な心情があるからだと思う。

そのことは普通の心理で悪くないんだけど、でも倫理を綺麗にしてごまかそうとすると、相対的貧困とか心の貧困とか訳の分からない概念をもってこないといけないと思う。

見た目は貧困(貧乏)じゃないけど、実際は困ってるのでこそっと?支援してもらえるとありがたいみたいな。

そういうのを逆利用して、相対的貧困っていうのを利用している運動家?活動家?もいると思うけどね。

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