大学は、知識を得るところでなくて、思考を得るところでは?

今や知識は人から人へ伝達されるものではなく、
インターネットを通じて得られるものだということが常識になりつつあります。大学もそれに
応じて、知識を得るところから、知識を利用して独創的な考え、最先端の考えを学ぶ場所へと
変わりつつあります。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/about/public/issue/binran/documents/2016/03.pdf


大学とは、単に深い知識を得るところではないことは入学式で述べた。「考える場」である。今までにない新しい考えを模索し、新しい解決を見出し、新しいものを発見・発明するところである。
ドラマ「滋賀大学の未来」|滋賀大学



大学の授業が薄っぺらすぎる

自慢ではないがマーケティングについては当大学内で比較した場合に限るけれど、ある程度の知識を私は持っていると自負しているが、流石に特定の企業が行っていたマーケティング戦略なんて動画を見ていなかった私に解けるわけがない。
せめて、商品の販売個数を計測する戦略とか書いてくれれば何となく当たりをつけることは出来るが一切とっかかりになる情報がないので授業出席者しか解けないのだ。

授業に出席しないものは、いかなる知識を保有していようとも単位は上げませんと言っているようなものである。



やっていることは市販されている本(自著であることが多い)を朗読しているだけで、自宅で必要な部分は覚えられる。そんな「教授いる?」と感じるような講義内容でどこに「教授は頭いいなぁ」と感じる要素があるのか。私が異端なだけで世の中の人は資格や肩書だけで知能を判断する、判断基準が外部にしかない人ばかりなのだろうか。
大学の授業が薄っぺらすぎる


知識だけなら、本読んでればという世界になるのは、この話だけではないと思うけどね。


濃い授業をするための条件

教授だけの問題じゃないと思うけど?
学生側もかなり変わらないと、濃い授業は無理なのでは?

バカに見える教授だって、本当はそんなにバカなわけではないんだし・・。

ところが、時間が経つにつれて分かってきたことがあります。

大抵の授業は90分×2-3コマ/週くらいあります。2日に一回講義を受けることになります。
フルタイムの学生でも1学期に3-4個しか授業取りません。(取れません。)時間割を見ると一見スカスカで一日の半分以上が空いているように見えます。
もちろん講義中の90分は、完璧に制御された時計通りに進みますので、予習復習しないと落ちこぼれます。(最近はe-learning用に録画しているので、長時間講義を延長するのは許されないみたいです。)
宿題の量と質がものすごいです。例えばComputer ScienceのMachine Learningの一回目の宿題は、http://www.stanford.edu/class/cs229/ps1.pdfにある通りで、このクラスの宿題が10週間の間に4回出ます。その他に中間試験、期末試験があります。
この1回分の宿題は感覚的には、東大の最も難しいクラスの講義の期末のレポート並みの重たさだと思います。(その場合、そのレポートだけで大抵全て終わりという具合だったような気がします。)

というわけで、10週間の間にこれだけの量をとにかく「集約」させて詰め込むのがアメリカの一流大学のやり方か、と納得してしまいました。

(尚、僕は別に成績がつく訳ではないので、課題や試験は任意です。学生は皆この成果によって成績が決まり、それがGPA等を通してその後の人生に大きく影響するので相当必死です。)
アメリカの大学と日本の大学の違いは一言で言うと「集約度」 - shibataismの日記


せめて、商品の販売個数を計測する戦略とか書いてくれれば何となく当たりをつけることは出来るが一切とっかかりになる情報がないので授業出席者しか解けないのだ。
授業に出席しないものは、いかなる知識を保有していようとも単位は上げませんと言っているようなものである。
大学の授業が薄っぺらすぎる


・予習が前提
・宿題は山盛り
・受け身でなくて、参加

本当のところはどうだかわからないけど、大学の授業に人生かけてます、命かけてますみたいな勢いで勉強しないといけないというのも個人的には厳しいと思うけどね。
ただし、天才は除くだろうけどね。

マッチョ思想ですよね。背伸びしているうちに、背が伸びますみたいな。実際には、背伸びした勢いで転ぶことだっているだろうに・・。

日本は、例えば慶應だと、1つの授業は週1回1時間半、講義のみ、ってのがほとんどですが、アメリカの大学は1つの授業に対して講義だけでなくディスカッションのクラスがあります。

例えば、私の取ってるビジネスのクラスのスケジュールは、
講義2時間、週2回
ディスカッション2時間、週2回
ラボ1時間、週1回

これが全部1つの授業なのです。
日本の大学とアメリカの大学の違い(授業編)|のりこのわくわくボストン留学記。



正解よりも思考を重要視する思想

これに気付いたのは、留学生向け授業の中間試験で教科書の一節を抜き出して、「この一節の意味するところを説明せよ」という問題を出したときです。授業中も取り上げたネタであるにも関わらず、驚くことに、授業でやった内容とは違う、オリジナリティーあふれる間違った解答が続出したのです。ぼくは採点しながら、「なんでこいつらはオレが説明したことの真逆のことを書いてるんだ!」と怒り心頭でありました。日本人学生に同様の問題を出した場合はこうはなりません。もっと、ぼくが説明した内容に沿った解答が多くなります。

これで思い当たったんですね。なるほど、こいつらノート取ってないんだな、と。そういや、あやつら、上向いていてちっとも下向かない。書き取ってない。もちろんぼくの英語がヘタで言いたいことが伝わってないというのもあるんですが、それだけじゃなくて、やっぱり日本人学生の方が、「先生が言ったことを再生する能力」は高いと強く感じます。

しかし、それが良いことなのかどうかはもちろん議論の余地があると思います。とりあえず、日本人学生は生真面目で従順で受け身、欧米学生は野放図で荒削りでインタラクティブという気質の違いを痛感している今日この頃です。
欧米の学生はノートを取らない - ultravisitor


こういうのもある。オリジナリティーあふれる間違った回答が、欧米ではどう扱われるのか不明だけど・・・。
その前に、正解の定義と、採点基準が同じかどうかにもよるけどね。


大学は無駄だというアドバイスも、結局は同じなのでは?

確かに最終的に選択をしたのは私であるが、どれだけの人間が周りの人全てが自分と反対の意見を述べている中、自分の考えを押し通すことが出来るのか。
私は大学生になり人に恵まれたおかげで、本当の考えを通せたのであって、高校生の頃であれば貫くことはできないだろう。



結局、大学の授業が薄っぺらいというのはこの「多様性を認めず一般論を勧める人間」が大学への進学を勧めているからなのだ。
大学の授業が薄っぺらすぎる


無駄だと言いながらも単位をとって卒業する態度に、自身の意見を押し通せてるといえるのかなぁ?とは思う。

結局この考えも、自身の考えでなくて、どこかの劣化コピーにしか過ぎないのでは?
もちろん、どこかの劣化コピーと同じであっても、自身の考えである可能性もあるけど・・。

確かに、自身の考えがオリジナルである必要性はどこにもないわけなんだけど、でも考える力と、考えてるように見えるのとは違うような気はする。

「大学の授業が薄っぺらすぎる」利点もあると思う

・余力が残るというメリット
・学びたい人はより学び、そうでない人は単位だけもらうというのが可能

とか、それなりのメリットもあるのでは?

偏差値、出身校フィルターも普通にあるよ

つまり学歴フィルターは大卒で区別するのでなく、東大生などの超難関校とそれ以外で区別するようにしたほうが建設的だ。(給料も含め)
大学の授業が薄っぺらすぎる


大卒だからといって、みんな同じ扱いなわけないでしょう。
あと、1年目の給料が同じだからというだけでは、待遇が同じかどうかは不明だと思うけどね。配属や仕事の内容とかそういうのも待遇でしょう。

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