0.999…= 1 を実感として理解するのは難しい

  • 投稿 : 2016-10-24
理解できてないけど、適当にまとめてみました・・。

・理解できなくても、(一部の)理系の大学は卒業できると思う
・実務上、このことが理解できなくても困ることはほぼないと思う
・実感として理解するのは、証明方法に納得できるかどうかではない

無理して理解する必要はなくて、一般常識的に必要ならそういうものだと理解しておく程度でよい気が個人的にはします。

あと、中高校生あたりだと、実際には「なんとなく納得できない」人のほうが数学的な素養がある可能性もあると思う。理解できなくて当然とか思ったほうが良いのかも。

0.999...= 1 の正しい理解

「生徒は 0.999… を、決まった値ではなく 1 に限りなく近づく数列として理解し続けようとする。その原因は『先生は小数点以下の桁数がいくつあるかをはっきりと教えていなかった』という指導法の欠陥、または『0.999… は 1 より小さい数の中で、存在しうる、1 に最も近い小数である』という認識である。」
0.999... - Wikipedia

0.999...が限りなく1に限りなく近い数字だから1と等しいという理解は、(おそらく)間違っています。「1に限りなく近い数字」でなくて、1だというのが正解

証明方法はいろいろあるのですが、結局は、それを実感として納得できるかどうか?の部分が本当の理解だと思う。

慣習

実数は標準的な数体系であるが、"0.999…" という無数桁の表記がある実数を表すだろうと、我々は自然に考えている。ウィリアム・ティモシー・ガワーズは Mathematics: A Very Short Introduction で、等式 0.999… = 1 を結論することも同様に『慣習』であると述べている。すなわち、
「しかしながら、それは決して恣意的な慣習ではない。なぜなら、それを受け入れなければ、一風変わった新しい対象を発明するか、または算術のよく知られた規則のいくつかを諦めるかのどちらかが強制されるからである[24]。」
0.999... - Wikipedia

・0.999...= 1 は慣習
・0.999...= 1 が成り立たないと、他の数学体系が歪む

そう割り切るのも悪くないと思う。

実感として理解

個人的には 0.999999... = 1 が成り立つことを,
中学生のいかなる質問にも対応しながら説明できる割合は(※中学の数学の範囲を超えても良い)

小学校教員 0%
中学校教員 0%
高校教員 5 %
理系大学生 10%
数学科学生 30%
だと思ってる.
0.999999... = 1 が理解できない中学生

1.証明はできるし、証明の説明はできる段階
2.実感として理解
3.その理解をわかりやすく説明できる

この3段階があるわけだけど、数学科学生はわからないけど、たぶんそのほかは2の段階で引用ぐらいの割合なんじゃないかなぁと思う。

0.999999... = 1 が理解できない中学生

「小学校教員 0%」と「中学校教員 0%」の一部は元「理系大学生 10%」であるところに「学校の勉強なんて社会に出たら役に立たない」理論の説得力を感じる。

2016/10/24 18:01

1の段階までは、数学が苦手でないかぎり小学校教員、中学校教員でできるはずです。理系大学生もたぶんできる。

・簡単そうに見えて、実際は難しい問題である可能性
・ある程度の基礎知識がないと、理解できない問題
・実務上は知らなくても、問題にならない程度の話

逆にいうと、役に立たないことは理解できなくても学校は卒業できるという部分のほうが重要なのでは?
だって、この件が理解できていても、確かに説明できるかもしれないが、理解させるのは不可能だと思う。理解できた気にさせるだけ。

ε-δ 論法(イプシロンデルタ論法)

0.999999... = 1 が理解できない中学生

ε-δ論法で証明する大学数学科の問題。「0.99999...」は厳密に「1」に等しい。

2016/10/24 18:09

アイザック・ニュートンとゴットフリート・ライプニッツが創設した微分積分学は、その根底に無限小(どんな正の数よりも小さな正の数)や無限大(どんな数よりも大きな数)といった実数の範囲では定義できない曖昧な概念を用いたものであり、このような状況はレオンハルト・オイラーによって微分積分学が大幅な発展を遂げる18世紀まで継続された。当時の数学者達は級数の発散や収束に関する議論に無頓着なまま理論を発展させていったため、しばしば誤った結論が導かれてしまうことがあった。
イプシロン-デルタ論法 - Wikipedia

まず、高校レベルの微積分は、上記のような感じになってると思う。本当の意味で、正しく理解できてないけど、微積分らしきことはできますみたいな状態だと思います。

19世紀に入るとオーギュスタン=ルイ・コーシーやベルナルト・ボルツァーノらによって、厳密な議論に基づいて微分積分学を再構築しようとする試みがなされるようになる。この時期から収束や連続に関する議論は次第に厳密性を増していく。ε-δ 論法は1860年代のカール・ワイエルシュトラスの講義によって完成されたもので、これによって無限小や無限大という概念を一切使用せずに収束・連続を議論できるようになった[1]。
イプシロン-デルタ論法 - Wikipedia

たぶん、太字の部分が大事だと思われる

0.9、0.99、0.999、0.9999、……
という数列になります。だんだんと1に近づいていってるのはわかりますね。ここでa1=0.9、a2=0.99、a3=0.999、a4=0.9999ということです。

さあここで問題になるのが「限りなく近づく」という表現です。曖昧ですね。限りなく近づくわけですから当然そこに到達は絶対にしません。上の数列{an} も1に限りなく近づくだけで1にはならないのです。ここが「無限」を扱う上で困ることなのです。何せ我々人間は「無限」を把握することが出来ないからです。「有限」の存在の私たちが「無限」をどう扱っていけばよいのでしょうか?そこで登場するのが「ε-δ論法」の考え方なのです。
ε-δ論法その1「極限」

限りなく近づく = 有限
おそらく、概念的には、限りなく近づくとか、0.999..の9が延々と続くとかいうのは、有限の概念でしかなくて、無限とは違うというのが「納得」感を得られない根本的な理由だと思う。つまり、納得できない人たちにこそ「ε-δ 論法」が必要だということですね。

おそらく必要な人のほうが、数学的素養は高いのでは?素養が高いのと理解できるとは別物だけど・・。

工学部

工学部では、イプシロンデルタ論法は、先ず、やりませんね。
工学部や物理学科では、イプシロンデルタ論法をやりますか? ... - Yahoo!知恵袋

理系でも、やらないところはやらない。
実学?系としては、知っていても意味ないという感じだと思うよ。
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