「九九」を暗記せず「電卓」を使うって、「ゆとり」教育が目指したものなんじゃないの?

B!KUMA【ビークマ】 - 学力世界一のフィンランドでは「九九」を暗記せず、「電卓」を使う(シェーン・スノウ) | 現代ビジネス | 講談社

九九の暗記はできないけど、数学的な天才ですというのはいると思う。
でも、九九の暗記はできないけど、数学的な秀才ですというのは、たぶんいないでしょう。

で、九九の暗記程度で落ちこぼれたリ、躓いたりするのは、誰?って話で・・。

無駄な努力しない天才はいても、無駄な努力をしないことでは天才にはなれないとおもけどね。

あと、条件はみんな同じだということですね。九九の暗記をしないぶんほかにその労力を回せるとしても、落ちこぼれる人たちとの差はやっぱりそのまま残ると思う。

たんに、無駄な努力をしなくないっていう心地よい論理に溺れてるだけのような。

暗記じゃなく、本質を学べないと

ゆとり時代に目指したのもそれですけどね。

でも、落ちこぼれる人たちのレベルだと、本質を理解するよりも、暗記するほうが労力低く、学力あがったかのようにみえるという事実を忘れがちだと思う。

つまり、この路線は、落ちこぼれが、暗記とかいう小手先のテクニックで逃げが効かずに、ますます落ちこぼれていくという現象が起こるのが明白です。

どんな学問も、最初から本質がわかるわけではない

無駄な積み重ねや、無駄な暗記の上にしか、本質はわからないっていう部分があると思う。

ただし例外はある。天才は、たぶん無駄はあまりいらないと思う。秀才もそんなにいらないと思う。

ただし凡人程度では、その部分がないと無理だと思うよ。

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