「互助的関係」の美談を使った、コストの安い矛盾の解消の仕方

・家族なんだから、助け合おうよ
・職場の仲間なんだから、助け合おうよ
・ご近所さんなんだから、助け合おうよ
・同じ日本に住んでいるんだから、助け合おうよ

でもって、助け合おうよと言いながら、助ける側になることを強要するんですね。

まあ、こういうシステムは悪くないとは思うんです。コストを安く、矛盾を解消できるからです。
でも、結局これって、弱者が泣くシステムになる場合が多いんですね。

矛盾を弱者に押し付けるほうが、コスト安いんですよ。

「職場の仲間」という幻想

職場の仲間は自分と利害を共にする一蓮托生の関係なんだし、
人にもよるけど借金を申し込まれたり借金したりなんてのから
子供を預かったりはたまた預かってもらったり位は「互助的関係」で許されるし、許すべきだと思うんだがそうじゃないのか。



はてな民は相当にエゴの塊になりすぎてて頭おかしくなってる説がだいぶ補強されたエピソードであった。
はてな民頭沸いてるんじゃねえか疑惑


僕は、職場の仲間だろう?ということで、エゴを押し付けられてくるのが嫌なんですよ

家族だろう?ご近所さんだろう?みたいなのが通用する世の中ではないので、無理があるんじゃないかなぁ?

一蓮托生といっても弱肉強食なので、弱者側になれば、切り捨てられるのが常。

まあ、引用したような価値観が悪いっていうことでなくて、好みの問題だろうなぁと思う。

職場の人は家族と一緒、家族ぐるみの付き合いじゃないか?みたいなのを望んでる人もいるし、またそういう路線の会社や職場もあると思う。僕の知人でもそういう路線の人がいるのはいる。

でも、そういうしがらみが嫌な人も当然いるとおもうし、どちらが正しいとも言えないとは思う。

村的(田舎)なものが好きな人と、町的(都会)なものが好きな人の違い。

記事読んでない

あの会社も、ホワイトとかいうけど、本当なのかなぁ?と思う。
あの会社名出た時点で、好きな人しか読まないんじゃないかなぁと思う。僕はタイトル見て読んでない。

ホワイトな大手企業でさえも、社員に対してはホワイトかもしれないけど、下請けに対してまでホワイトであることはマレだと思う。

つまり、矛盾がある限りは、どこかで解消するしかないわけです。
でもって、矛盾を解消する手段としては「お金」があるわけですが、それを使えるほど、社会は単純になっていないと思う。

大事な商談にいく人の「属人性」があり、代理が効かないってことで、強者と弱者が生まれやすいと思う。でもって強者をないがしろにすると、一蓮托生という名で弱者までひどい目にあるから、弱者は協力しましょうよって言う話を超えてないんじゃないかなぁと思う。

「写真を撮ってすごい、日常的に行われてるから写真が撮れるんだ」?とか書いてあるけど、明らかに、あざとさがあるよね。

再度書いておきますが、記事は一切読んでなくて、記事のブックマークコメントを数個だけよんだだけ。
個人的には、賞賛している?コメントに吐き気を感じた。

お前、根性腐ってるんじゃないの?

まあ、腐ってるでしょうね?
だって、腐ってなかったら、この世の中で弱者が生きていけるとおもうかね?

根性が腐るのには理由があり、もともと性根が腐っている場合と、腐らざるを得ない状況を過ごしてきたという2パターンがあると思う。

でもって、もともと性根が腐っていても、強者側に立っていれば目立たないと思う。

皆で助け合おうよっていう強者の心根って、どうだかわからないって話。
この場合、強者は人でなくて、会社でもいいけどね。

助け合いとか、互助とか言う名で、理不尽な目にあうのは嫌

そういうことをはっきり言えない人たちが、違う正論でなにかをいうから、おかしく感じるだけでは?

人助けするのは嫌とかいったら、人間性疑われるしね。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。