心を軽くするために、他人の評価を捨てるだけ

  • 投稿 : 2016-07-31
今まで誰かのために生きてきたつもりはなかったが、自分の存在を肯定するには他人の評価が必要だった。
誰かに優れていると評価されると安心した。自分は社会にいて良い存在なのだと実感できた。


私はどうしたら自分のために生きられるのだろうか。
他人に依存せず、自分の価値観をもって、この自己否定から逃れられるのだろうか。
自分のためと考えてみたら社会実現も何もかもあまり重要ではなかった
鎖が外されたような思いだ。皆そんなに自分のためになんて生きられるのだろうか、
こんなに孤独なのに
自分の人生を生きられない

社会を構築して、そのなかで生きる人間は、そもそも他人の評価を必要とせずに、自分らしく生きられるのか?って話があると思う。
他人の評価が必要なくなったら、社会実現も何もかもなくなるのは、社会の中でしか生きれない人間だだからという一面があると思う。

自分の人生を生きられない

他人の評価だけで生きるんじゃダメだし、自分だけ見つめて生きるのでもダメ。うまく二つのバランスを取れ

2016/07/31 01:47

他人の評価を気にしないとかいうのは、心を軽くする手段であって、自分らしく生きる手段じゃないのかもとは思う。

自分のためにでなくて、わがままに生きて良いよって話かもね

わがままに生きると、社会から排除されかねないけど
でも、ある程度はわがままに生きることが、自分らしく生きることなんじゃないかなぁとは思う。

自分らしく生きることと、自己肯定は別かも

自分らしく生きれても、自己肯定できない可能性はあるでしょう。

ただ、わがままが通れば、なんとなく自己肯定している気分になれるだけだと思うよ。

「わがままが許容される=社会が何らかの形で認めてくれている」みたいな錯覚で・・。

孤独と、自分らしさと、自己肯定とは、すべて別物かも

しかし
・他人からの評価がないと、孤独感が増す
・自己肯定ができないと、孤独感が増す
そういう一面はあるかも。

ただ、他人から評価されれば、孤独がいやされるかどうかは別だし
自己肯定できるようになったからと言って、孤独が良さされるかどうかは別だと思う。

空腹は、孤独感を増すことが多いけど
お腹一杯になったら、孤独じゃなくなるかどうかは保証できないと思う。

欲の強さと種類は、人によって違うので・・・

他人の評価を一切必要としない人たちもいるけど、でもそんな人がいたとしても、自身もそうなれるかどうかは別だと思う。


スポンサーリンク