不幸なのは、幸せの見出し方をしらないから

他方、私は式の最中ずっと、薄っすらとした敗北感に浸っていた。私は淘汰される側なのではないか、と。
思春期のころから人並み以上に恋に溺れ、結婚を二度もしたにも関わらず、遺伝による不妊体質のせいで未だに子がない。
客観的にいえば、私は多くの出会いに恵まれていたし、異性と心を通わせる能力は人並み以上にあった(と思う)。
だが、その愛と経験を次代に繋ぐ望みはほとんどない。
性淘汰ってなんだろうか


そもそも、個人として、子孫を残すとか、遺伝子を残すとかに価値を見出す必要はあるのかどうか?とかもあるとは思うんだけどね。といっても、それは個人の望みなので、そうしたいって思えば、そんな理屈を作っても納得することはできないと思う。

理屈というのは、自身の納得を強化する方向でしか働かない傾向にあるので・・。こういう考え方もあるよといっても、その考え方にはそうそう飛びつけないとは思う。

引用先の生物学?的な思想って、根本的に間違ってる気はするけど、まあ、自身の考えの具現化としてあるだけなので、間違っていることを指摘しても、当人の考えがかわることはないとは思う。

不幸なのは、幸せの見出し方をしらないから

・遺伝子が残せない
・子供を作れない
というのは、確かに不幸かもしれないけど、でもそれが人生のすべてなのかなというのはあると思うんですね。

まあ、周りからの評価とか、周りとの勝ち負けとかの価値基準で、幸せを決めている場合は、なかなか、幸せを見出すのは難しいかもしれないなぁと思う。

それって、数ある幸せのメニュー一覧から選択しているだけで、見出しているわけでもないのでね。

こういう幸せもあるよとかそういう路線じゃないので・・・。

次世代に残すことにこだわるのなら

利己的遺伝子の影響もあるんだろうけど、遺伝子を残すことにこだわる人たちも多いなぁと思う。
まあ、血統を残す、子孫を残す、家を残すというのと相性がいいので、その延長で受け入れているだけなんだろうと思う。

優秀なものが生き残るみたいな感じで理解している感じでもある。
ただ、その時の環境に生き残れたものが生き残るという話だって、優秀だから生き残れるわけでもない。
「遺伝子の継承(子孫を残すこと)」だけに、こだわる必要はないと思う – ただの通りすがり


遺伝子や子孫以外にも、次世代に残せるものはあるとおもうんだけどね。


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