「東大卒で専業主婦なんてもったいない」という話を真に受けてる人は・・・

・単に話のネタ
・本当にもったいないなんて思ってないこともある

でもって、そういうこと言われても困るんだけどという人がいるんだけど、それって自意識過剰か遠回しの自慢だと思う。

おたくのお子さん、かわいいですねみたいなノリですよ。
本当にかわいいこともあるけど、たいしてかわいくない時でも、そういう風にいうけど、
親ばかなんで、真に受けるんですな。

親ばか現象が、自己愛ばかになるとそうなると僕は思っている。

そんなものに、お金を使ってもったいない

そんなのと同じ話だと思うんだけどね。

単に価値観の差でしょう?
あとは、裕福さの差かもしれないけど・・。

同じ東大卒同士でも、そんな会話するかどうかでわかるのでは?


まあ、もっと敷居を低くして、大卒なのにもったいないみたいな話なのに置き換えてもいいと思う。たいてい、この手の話って、同じ大卒同士だとそういう話になりにくいと思うんですね。

ブログなんて書いてるなんて、もったいない

そんな話とあまり変わらないと思うけどね。
あと、所詮は他人事なんで・・・。

他、いろいろあるんじゃないかなぁ

・若いのに、もったいない
・美人なのに、もったいない
・子供を産まないなんて、もったいない
・結婚しないなんて、もったいない
・遊ばないなんて、もったいない
・羽目をはずさないなんて、もったいない

とかいろいろ・・・。

・・・・

一番もったいないのは自分の気持ちに嘘をつくこと

そうして特に好きでもない会社に毎日通う私はとにかく焦っていた。
大学院に進学した友達にも、留学を決めた友達にも、さっさと結婚して専業主婦になった友達にも負けたくない。
そのどの道も選べなかった私は、「これでよかったのだ」と思える何かをとにかく見つけたかった。
でもあるとき、私は私の目指しているものの空虚さにいきなり気づいた。
なんで私はキラキラしなくちゃいけないのだ、そのキラキラはいったい誰のためのものなのだ?と、本当にいきなり、気づいた。
それに気づくまでの20代の10年間は、本当に無駄にしたと思う。
自分の気持ちを無視して、他人の評価に合わせた人生を送ること、それほどもったいないことは、ない。
東大文学部卒おばさんが、何がもったいないのか解説するよ


これ読んで思い出したけど、
理系でちょっと勉強できると医学部にいけみたいなそういうムードがあるところもあった気がするのですが

結局、医学部にいけても、医者(臨床医)に向いていない、研究医に向いてなかったら、不幸になりかねないのと似てるなと思う。

もったいないという確かにあるけど、「もったいない」と言っている人たちの価値観ではそうであっても、自身がそうかどうかは別問題って話だと思う。

好きなことを仕事にするか?それとも、向いてることを仕事にするか?みたいな感じですよね。

「それだけ適性あるのに、もったいない」みたいなのがあったとしても
本人が望まないのなら、望まないって言う点で適性がないといえなくはないと思う。

嫌だという気持ちがあれば、好きになれないという点で適性がないんだろうし・・・。

あと、周りの評価で、自身の幸せや評価を決めるのが向いてない人たちもいるとは思う。

逆に、周りの評価がそのまま自身の幸せにつながる人たちは、周りの評価を気にしないといけないと思う。周りの評価なんて関係ないっていう価値観の人の話を信じても、そういう人はやっぱり、周りの評価がないと生きていけないと思う。

自身の幸せは自身で決めるタイプの人と、周りの評価で決めれるタイプがいて、その2つか価値観が違うので、そもそも同じ土俵では話せない。また、どっちが正しいということもないと思う。

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