朝ドラ「あさが来た」で考える、本当に悪い人はいないって話

http://www.nhk.or.jp/asagakita/

朝ドラ「あさが来た」が人気があること前提で書いてるので、そうじゃなかったら、ごめん。
でもって、人気があっても、それは一般人の話じゃないという話だったら、ごめん。

いつから映画もドラマも漫画もアニメもゲームも勧善懲悪だらけになったんだろう



日本人が勧善懲悪ものを好むようになってから、日本人の議論がいつしか断定的で独善的なものにになったように感じられるのは、私だけだろうか
日本人の美徳とは、物事に中立であり、何においても一方だけを贔屓しない部分にこそあったのではないのか
私はこのような意識の上での欧米化が、日本の文化を根底から破壊してしまわないかとても心配である
単純な勧善懲悪的な物語が、日本人の意識を変えてしまった氣がする


この文体と言い回しは、漠然と、あの人かなぁ?と思うけど、どの人(どの記事の人)なのかわからず。

それはともかく、「何においても一方だけを贔屓しない部分」って、朝ドラ「あさが来た」の全体に出てないんですかね?

今までの朝ドラなら、「悪い姑」に「苦労する嫁」とか、「理解のない古い男たち」「先進的な女性」みたいな感じになってる感じが・・。表面的には、悪者がどこにも存在しないんですよ。

「意識の低い女性」「意識の高い女性」とか「理解のある男性」「理解がない男性」とか、そういう演出もあまりしてない気が・・。

まあ、「時代が悪い」みたいな感じにはなってると思うけど、もう「悪」を押し付ける先がそこしかないって感じ。

どの客層にもいい顔しないといけない世の中になり?、なんだか、??みたな感じになってる気がしなくはないんですね。逆に、キレイな世界感過ぎて、気持ち悪いぐらい。

・火薬?仕掛けた人でさえ、絶対悪になってないですよね。
・刺した人でさえ、絶対悪になってないですよね。
・姑の話は、自身が幼少期?の頃に、母親から同じことをされていたという、被害者という側面まで出てくる

ちゃんと見てないのでわからないんだけど、まあ、ちょっと見てるだけでも、「本当に悪い人はいない」ということをベースに成り立ってそうな世界観だと思う。

「本当に悪い人はいないって話」のほうが、今の世の中にあふれているような・・。

あと、アメリカは多民族だから?、ハリウッド的な単純な勧善懲悪的な物語が受けるんじゃなくて、現実が複雑すぎて収集がつかないからでは?

アニメ

最近のガンダムでさえ、勧善懲悪話になってないんだけど、子供にわかる世界なのかなぁと思う。まあ、子供は大人びたものを好むけどね。

セラームーンとかプリキュアでも、「単純な勧善懲悪的な物語」でない気が・・。
昔のウルトラマンとかでも、なんかそうでもなかった気が・・。

昔のウルトラマン時代の時に、ウルトラマンという作品じゃないけど、その当時の何かの作品たちが、
日本的で、ハリウッド的ないので、ダメだとか評論家が言ってたような気はする。

ダメというのは、日本でしか受けないって言う話。

少し考えてみる

・物事に中立 ->多様な価値観があふれ出すと、中立という概念自体崩壊すると思う
・何においても一方だけを贔屓しない部分 ->いつの時代の話?奈良時代から、昭和時代まで考えたけど??

日本人の美徳?

いろんな民族にあふれてるにはなってない感じだけど、それでも多様な価値観であふれ出しているので、「美徳」という感性さえも崩壊していると思うんだけどなぁ。

「勤勉」という美徳が、僕の子供時代にいわれたけど、もう今時の人は気にもかけないし、だれも言わない。

ただ、ちょっと、もう世代が違うのか、僕の読解力がないのか、引用先の内容は理解できなかった。

単純な勧善懲悪的な物語が、日本人の意識を変えてしまった氣がする

古典には判官びいき的な物語が多い印象はあるけど、それは近代以降も同じだろ。ほぼ一律に「弱きを助け強きを挫く」なので、弱者は無条件に倫理的な「善」であることが多いが、それは勧善懲悪とは違う善悪の判断。

2016/03/07 12:20

もしかして、「弱きを助け強きを挫く」?
そういう部分は、確かに、もうこの日本にはないと思う。

あるとはおもうけど、馬鹿な行為だと思われること多しとかいう感じだと思う。

<弱りかけた「強かった」悪を挫く>のが精いっぱいというか、ネットで見かけるのはそんな感じ。

このあたりの意味合いなら、僕もある程度、共感・賛同できるかも

勧善懲悪/詩的正義

勧善懲悪(かんぜんちょうあく)は、「善を勧め、悪を懲しめる」ことを主題とする物語の類型の一つ。勧懲(かんちょう)とも略す。



善を勧め、悪を戒める倫理規範や、因果応報を説く思想はさまざまな社会集団や宗教でみられるが、本項では物語の類型としての「勧善懲悪」を中心に扱う。
勧善懲悪の文学様式は、時代劇や多くのハリウッド映画、ヒーロー戦隊番組に於けるシナリオにおける典型的パターンである。これは善玉(正義若しくは善人)と、悪玉(悪役・悪党・搾取する権力者など)が明確に分かれており、最後には悪玉が善玉に打ち倒され、滅ぼされたり悔恨するという形で終結する。一般にはハッピーエンドとされる形で物語は終幕を迎えるパターンである。悪としてよく扱われるのが、一般に強大な力を保持し、平和を乱し、正義を好まない人物や組織である。平和や正義という抽象的な概念は、人によって考え方は多様であるし、基準も曖昧である。そのため、対象は作品によって異なるが、その時代や特定勢力を風刺していたり、または架空に作り上げたりと行った場合が多い。
欧米圏の文学において「詩的正義」(英: Poetic justice)と呼ばれる類型と比較できる。
勧善懲悪 - Wikipedia


詩的正義という言葉は恥ずかしながら初めて聞いたが、
響きも、意味合いも、なんとなく、イイ感じ。

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