私が悪いんでしょうか?の答えは、常に悪くないって思えばいいと思うよ

自分の言いたいことや伝えたいことが相手に伝わっていない場合、
それはちゃんと理解しきれなかった受け手側が悪いのですか?
私は相手のいう事を理解したいと思って、一生懸命聞いています。
なのに、理解してもらえなくてがっかりだとか、お前には失望したとか、
悲しいとか腹立つとか言われても、なんか釈然としなくて。



でも相手は上司ですから、悪いのは私になるんでしょうね。
理解できない方が悪い?


失望したっていうけど、それは期待した人が言うべき発言ですよね?
理解してもらえなくてがっかりだというのは、理解してもらおうと頑張った人が言うべき発言ですね?

という部分はあるので、まあ、もしかすると「あなたは何も悪くないかもしれない」。

俺の言うとおりに行動しないことを
理解しないという表現にすり変わっていることも多々あると思う。

まあ、悪いか悪くないかなんてしらないけど
弱者側に、善悪を決める決定権なんてあまりないわけで・・・。

可能なのは、周りの人たちの信望があついとかそういう別の力があって、力関係でしか対抗できないとは思う。

というか、上司の発言で理解できないことって、例えばどんなこと。
指示命令なんで、そんなに複雑で理解できないことを言い出すとは思えない。

無理難題で理不尽なことを言い出す可能性はあっても、発言の意図を理解できないほど難解なことをいいだすのか?って言う疑問があります。

単純明確に言ってもらうようにするとかしたら、理解できるのでは?
遠回しに、回りくどい言い方をしているのなら、そういうのは辞めてくださいって言えばいいだけで・・・。

上司と部下は、たいていのケースでは相性が悪いし、理解し合えない

だからこそ
・尊敬できる上司
・信頼できる上司
・相性のよい上司
だったら、恵まれているねって話になるわけで・・。


話し合えばわかるとか、理解しようと頑張ればわかるとか、そんなの幻想だから

・上司は、理不尽なことをいう生き物
・上司は、身勝手な生き物

とか思っているほうが、よく理解できるって言う話はあろうと思う。
男女関係でも同じでしょう。

価値観が違う者同士、立場の違う者同士は、
理解し合えないっていう前提を認めたほうが、より理解が深まるという微妙な話もあると思う。

そもそも理解し合えるよりかは、まずお互い嫌な気持ちにならないほうが最優先だと思うので・・・。

男女関係でも、結局が一方が折れないとうまくかないケースのほうが多いわけで・・・。

私が悪いんでしょうか?の答えは、常に悪くないって思えばいいと思うよ

・自身が悪いとおもうのなら、そんなこと人には聞かない
・たいていの場合、善悪を決めるのは、価値観に依存するのでどちらにも転ぶ
・人間関係の場合は、どっちもどっちだと第三者は思いがち

私が悪いのかなぁ?とおもったら、私は悪くないって強く思えばいいわけです。
悪くないけど、ひどい目にあいたくはないので、何らかの対策をしなければいけません。

まず、自身にも落ち度があるかもしれない、理解不足もあるかもしれないなんて、マトモそうなことを思っても、そんなの問題解決にはならないことが多いわけですね。

それは、マトモな問題については、そういう正攻法の解決方法で突破できる可能性がたかいけど、
理不尽で上下の関係などが絡む問題については、正攻法がそもそも無理でしょう。

そもそも、裁判してどちらが正義がはっきりさせましょうか?という話で解決できることは、何か?ってことです。もちろん、時にはそういうやり方もけん制のためには必要でしょう。

良識派で、物分かり良い人ほど、人間関係のジレンマにはまりがちかも

私が悪いんでしょうか?となるわけですね。

まあ、たぶん、良識の範囲?では、悪くないことのほうが多いとは思う。
良識派で物分かり良い人ほど、理不尽なことに対する耐性が弱いってことがあろうとは思う。

だって、おかしなことを敏感に感じられるからこそ、良識ある人たちなんだから。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。