「叱る」ことが愛情だと思っている世代は、気をつけたほうが良い

大学時代から行ってた飯屋が閉店してしまった。
安いし旨いしなによりも店長が魅力的だった。
客に対しても食べ方が悪いと厳しく注意する、つまりいい意味で「お客さまは神様です」をしない店だった。
でもそれが最近の学生にウケが悪かったらしい。キャンパスの近くで財布に優しいのに大学生がほとんど来なくなってしまったらしい。



でも若者だけじゃないんだよね。叱られるのが嫌いな人って。
「金払ってる方が偉いって考えがブラックを生むよな」って知人に話しても「論点がずれてる。叱られたいやつなんていない」と一蹴される。
若者は「叱ってくれる他人」をもっと求めよ


具体的に、どんな注意をするのかによると思うけど、
でも、「叱る」ことが愛情だと思うのは、勘違いだとは思う。

相手にうまく伝われば、良いんだけど、そうじゃないのなら、勘違いでしょう。

金払ってるとか
お客様は神様とか
関係なく、

食べてる最中に叱られるのって、多くの人にとって苦痛だと思うけどなぁ。
家で食事するときに、アレコレ注意されるのって、食べてるもの美味しくないと思うんだけど。

あと、叱られることって、別に指摘されるまでもなくわかっていることのほうが多いと思う。

小言を言われてると感じるか
親身になって言ってくれてると思うかは
紙一重なところがあると思うんですね。

親身になって言おうと思うほど、かなり抑えて控えめに言わないと、そういう風には伝わらないとは思う。
言葉を選ぶ人たちや、繊細な人たちは、そういう傾向が強いとも思う。

あと、昔の学生は、叱られていたけど、右から左へ聞き流していて、全然聞いてないとかいうオチがあるかも。
別に叱られることがありがたいなんて思ってなくて、軽く流してましたっていうオチ。
安くて美味しいから、この程度はしかたがないかみたいな。
不味かったらもう来ないかなとか。

それはともかく、愛情だと仮定しても、伝わらないものは愛情だとは言えないのかも。

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殴りながら、俺の愛を感じろという人が結構いる気がする・・・

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