「理解されないこと」と「差別」は別物だと思う

この番組を見て思い出したのは、乙武君のイタリアンレストランの件だ。
あのレストランの店主は明らかに障害者差別を行っており、乙武君は被害者の側だ。
それにも関わらず、私が見た限りでは、ネットでは乙武君を批判する声が多数派だった。
障害者差別をしてはならないという社会規範が、日本国民には共有されていないのだ。
もし日本で『What would you do?』が放送されたら、出てくる一般市民は全員、
顔にモザイクをかけられてしまうのではないか。
日本人は正義に則った判断や行動ができないかもしれない


・差別か差別でないか?の2元論の危険性(単純図式)
・差別という言葉の範囲について
・弱者が弱者であることを利用した、強者の悪事について

・差別でなければ、差別的なことをしてもよいのか?
・理由が正当なら、差別でないのか?

「理解されないこと」と「差別」は別物だと思う

理解されないことを差別に結び付ける人たちがいるわけだけど、それはちょっと違うんじゃないかなぁと思う。

差別的なことをしないというのは
優遇するって言う話とは別物だと思う。

いつの間にか、優遇されないのは差別されているからだとなれば、おかしくなると思う。

なぜ、差別を是正するために?なくすために、優遇的な処置が実施されているのか?っていうのをわかってないんじゃないかなぁと思う。

なぜ、妊婦は、障害者用の駐車場を使えないのか?

・障害者が使えなくなるから
・もっと困っている人が使えなくなるから
・規則で決まっているから?

いろいろ考えられるけど・・・。

使えたほうが良い場合もあるだろうとはおもうけど、
そもそも、妊婦というだけで本当に困ってない人までそんな主張してもいいの?って話はある。

妊婦は大変だといっても、すべての妊婦が大変なわけじゃない。

「理解されないこと」と「差別」だというのも、一定条件を満たせばそうだと思う

理解されない苦しみ = 差別

なわけ、ないんですよ。
差別以外でも、理解されない苦しみというのは存在するわけで・・・。

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