障害があるから、産まないっていうのは、そんなにダメなことなのかな


公言できるかどうかは別にして、世の中全体の価値観というのは変わりつつあるんだと思うんですね。あと、そういう技術、検査がでてくるというのは、需要がある・要望があるからですよね。

たぶん、障害が判明したから産まないっていうのは公言できない雰囲気であるのはたしかで、その手の発言をするとバッシングを受けかねないというのは前のままかとは思う。

経済的に苦しいので、子供を産まない(中絶する)

経済的に苦しいから、子供を産まない(中絶する)というのは、問題ないんですよね。

これは、「貧乏な子供たちの尊厳」を奪っているのでしょうか?

金持ちの子が、貧乏人に生まれなくてよかったと発言したとしても・・・。

また、そういう状況下で、経済的に支援するから子供を産みなさいって社会は言わないでしょう。

※ もちろん、経済的理由でというを問題だと考える人(たとえば僕)もいるだろうと思うけど、世間の多くの人はそうは思ってない感じではある。

妊娠中に子どもが障害児だとわかったら? 6割以上が「産まない」と回答|ウートピ


産まない理由の最初のがすごい。“はじめから障害者だと分かって人を産んで、社会でお金だして育てるの?みんなのだいじなお金じゃん。”

2015/06/29 09:52

貧乏人の子のために、社会でお金をだして育てるの?
こっちも難しい感じだけどなぁ。

多彩な才能があるから、素晴らしい?!

>反対に、生徒さん達の作品を拝見し、多様な才能をお持ちでいることも理解

障害をもってうまれて、そういう多様な?才能をもつより
障害を持たない凡人に生まれてきたほうが、幸せってことはないのだろうかなぁ?と思う。

この論調もおかしくて、
障害をもっていて、多彩な才能?を持っている人がいることと

実際には、障害者の尊厳とか関係ないのはあきらか。
じゃぁ、多彩な才能を持ってない障害者は?

障害を持っていても、幸せにならないとかそんな話じゃないなのは明らかで、容姿が美形に生まれてきたほうが、金持ちの家に生まれてきたほうがと本当は大差ないのかもと思わなくはない。


社会コストと、人の尊厳について

命の大切さとかいうけど、
その概念自体が、もう揺らぎつつあって、

コストがあわなければ、社会全体で、「大義(名目)」を探し出して、結果として見捨てましょうっていう路線に世の中がなってきてると思うんだけどなぁ。

遺伝子の多様性について

科学者、医療系の人たち(一部)の選別するべきではないというのは、遺伝子の多様性の心配をしているだけで、一般人が考える命の尊厳とかとはまた別だと思う。

遺伝子の多様性っていう考え方は、全体(種)として生き残るための心配であるので、 結局は社会を心配しているのと同じ。

遺伝子の多様性を心配するか、金の心配するか程度の違い。

まあ、遺伝子の多様性だけを心配してるのでなくて、倫理的な面もからもプッシュできる論理として言ってるとは思うけどね。逆に遺伝子の多様性を守るためだとはいえ、非倫理的なことはいえないのだから。

変な言いがかり?!

仮に殺人を起こすような人間でも、生まれてこなかったほうが良かったといえないのが倫理観やモラル感というものであると思う。

また、そういうのと別に、人の尊厳というのはあると思う。尊厳も、その人が立派かどうか関係なく、尊厳というものは存在するんです。

じゃぁ、あのようなひどい?発言をする長谷川センセイ氏は、生まれてこなかったほうがよかったですかね?
良かったといえる論理もあるし、そんなことは言えないって論理があるだけだと思う。

どっちが、この件に関してちゃんと考えているかといえば、長谷川センセイ氏のほうでは?と思う。
まあ、結論が間違っているかもしれなし、人間としてだめかもしれないが、考えているかどうかはそれとは別の話だしね。

社会(店)にも限界があって、あきらめてもらわないといけない時があるでしょう。
ある程度はあきらめてもらえないと、妥協してもらえないと社会(店)はやっていけないと・・。

今、社会は、障害者にたいする学校教育のコストが無視できないぐらいの状態にあるってことは間違いないと思う。

特別学級とかで、一人の生徒に一人の先生をつけるとかそんなのはちょっと無理があるような。
たしかに、専用?の学校に通うより、親は満足できるかもしれないけどさぁ。

微妙なんだけど・・・

茨城県教育委員の長谷川智恵子氏(71)が18日に開かれた県総合教育会議の席上、障害児らが通う特別支援学校を視察した経験を話すなかで、「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」などと発言したことについて、長谷川氏は19日、撤回するとのコメントを発表した。

コメント(全文)は以下の通り。

 この度の私の総合教育会議での発言により、障害のある方やご家族を含め、数多くの方々に多大なる苦痛を与えましたことに、心からお詫(わ)びを申し上げますとともに発言を撤回させていただきます。

 言葉足らずの部分がありましたが、決して障害のある方を差別する気持ちで述べたものではありません。反対に、生徒さん達の作品を拝見し、多様な才能をお持ちでいることも理解しており、美術の世界で、もっとお手伝いができるのではないかと思いました。また、生まれてきた子どもたちの命は全て大切なものであると考えております。

 今後は、教育委員として今まで以上に研鑽(けんさん)を積み、よりよい茨城の教育の推進のために微力ながら力を尽くしてまいりたいと考えております。
障害児の出産めぐる発言を撤回 茨城県の教育委員:朝日新聞デジタル


批判を浴びることを想定していたかどうかなんだけど、どうなんだろうなぁ。

社会コストがものすごくかかるので、老人医療や介護と同じく、数が増えたら破たんするよ。

ただ、産む前に選別しなくても、障害者の数はそこまで増えないのでそのことがわかりにくいだけ。

老人だって、金ないのなら、
住み慣れた自宅で、安らかに・・・とかいう名目のもと
見捨てられている人結構いるとおもうけど・・・。

老人医療でなくても、難病認定でもいいけどね。
難病だと人数が少ないのでということで、拡大していったら、医療費バカになりませんでしたっていうのが現状ですよね。

難病で困っている人たちを救えるということは素晴らしいことだけど、社会負担なしにできないことでもある。

理想をいうのは簡単だけど、実現させてるのは言いっぱなしの人たちじゃないし・・。

人間として、ひどい、信じられない

それは、その通りでしょう。
だから、大義が必要なんだけど、そういうのが見つからない場合は、問題を解決できないっていう事態に陥るんだけどなぁ。

もう、大義も使い果たされたので、改善できるところはそういうのでは無理なところしかこの社会には残っていない可能性もある。

医療なら、尊厳死、住み慣れた自宅で死ねるほうが幸せとかそういうので・・。

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