Yahoo!ニュースのコメント欄のひどさで、逆に僕は安心できると思う

特にリンクは貼りませんが、Yahoo!ニュースとかBLOGOSはひどいもんですよ。ゴミの掃き溜めです。そういうものとしては楽しめますが、なんら建設的ではありません。腐臭が漂ってます。



繰り返しますが、コメント欄というのは「情報リテラシーが低いおっさん」「悪意ある書き込みをする暇人」を集める装置にしかなりません。なので、コメント欄はさっさと閉鎖してしまいましょう。振り回される暇があるなら、さっさと記事を作ってください。
まだ「コメント欄」で消耗してるの? : まだ東京で消耗してるの?


表面だけ見た目だけきれいにしようだとか
都合の悪いコメントは、適当なレッテルを貼って排除しようとか
そういう世の中もどうかなぁとは思うんだけどね。

ただ、ブログを運営している立場ではそうは言ってられなくて、
誰かがごみを投げかけたら、そこにはごみを投げかけてもいいんだという風な感じで
次々、ごみを投下されたりするので、ごみは排除しておかないとゴミまみれになりかねないというのはあると思う。

僕も最初は、Yahoo!ニュースのコメント欄をみてひどいものだなぁとか思ってたりするんだけど、
まあ、出てくるコメントはある程度のパターンと幅があって、ひどいといえばひどいけど、その程度で収まっているんだなぁという安心感が逆にあったりするんですね。

例えば検閲とかそこまでいかなくても、表面だけきれいにしている路線だと、本当のところはどれだけ汚いのか?(キレイなのか?)わからないと思うんですよ。それって、見えないからきれいだと安心している怖さがあると思うんです。

おっさんは・・とか

おっさんは・・
低学歴は・・・
ネトウヨは・・

いろんなレッテルあるけど、本当にそういう一部のそうだけがそう思っているか?といえばそうでもなさそうな点も重要なところかなぁと思う。

この路線は多数いそうだけど、少数派的なレッテルを見つけ出してつけて、利用するというテクニックに成り下がっていると思う。

おっさん =>情報リテラシーの低いおっさん
暇人 => 悪意のある書き込みをする暇人

おっさんらしき人が、その手のコメントをかけば、情報リテラシーの低いってことに自動的になり
暇人が、その手のコメントをかけば、悪意あるkとに自動的になるっていう図式ですね。

正論をいうきれいな人だちだけでも・・・

きたない発言する人もたいがい怖いけど、
正論できれいな発言をしながら、ものすごくたちの悪い正義をかざしている感がある人たちもたいがいかなぁと思う。

もう、これは価値観に依存するところもあって
ある価値観の人には、正論できれいにみえるけど、そうでない人たちには、きたない発言に見えたりするんですね。

きれいごとをいうけど、建設的でないなんて発言いっぱいあるわけで
建設的な議論とかいう価値観であっても、
その建設的というものが、都合よくつかわれていると思う。

都合の悪い正論や正義は、建設的でない、現実的でないという一言でつぶせるわけだから。

きついのは、意見の内容でなくて、人の意見を変えさせようとかする思惑だと思う

ブログとかのコメント欄が厄介なのは、
自分の意見をみんなに聞いてもらいたいとかそういう部分がすくなくて

そのブログの記事を書いた人、例えば僕の考えをかえたいとか、僕の何かを変えたいという部分が大きい場合が非常に厄介なんですね。

考えや意見に執着しているように見えて、僕に執着しているんですよ。

コメントを公開されない場合でも
公開されないことよりも、僕がコメントを読んだからどうかのほうが気になるって人たちですね。

コメント欄も、その記事を書いている人の人柄にもよるのでは?

繰り返しますが、コメント欄というのは「情報リテラシーが低いおっさん」「悪意ある書き込みをする暇人」を集める装置にしかなりません。
まだ「コメント欄」で消耗してるの? : まだ東京で消耗してるの?


・記事の内容に反応している
・記事を書いた人柄に反応している

そういう面もあるので、ある一定数のひどいコメントを書く人たちがいても、そんな人ばかりというのも逆におかしいと思わないとと思う。

よくあるじゃないですか?会議でも議論でも
自由に意見を言ってくれっていうのに、だれも発言しないとかそういうのと似てるんじゃないかなぁと思う。

コメント欄には悪意あるコメントしかかかれないとかそういうのと雰囲気似てますよね。

都合のいいものだけ望んでいるという部分と、またなぜかそういうのしか集まらないという原因が実は当人にあるかもしれないってところに・・。

上記の記事だって、喧嘩売っていますよね。同じ文意を伝えるとしても、もっと思いやりに満ちた上品な表現なんてもっといろいろあるわけで・・。

きれいごとよりも、本音が世の中を動かしているのだから

正論やきれいごとが失敗しやすいのは、
多数の人たちの本音と相性がわるいからでしょう。

最近は、本音をうまく消化して、正論やきれいごとに仕立て上げたりしますけどね。

もう、きれいだとか汚いとかそんなのも、判断基準としては
心地よい、都合のよいと変わらない感じに成り下がっていると思う。

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