「何を言ったか」「誰が言ったか」問題【属人性について】

その人に属すること。法律などで、人を基本として考えること。
ぞくじん【属人】の意味 - 国語辞書 - goo辞書


仕事の上での属人性

「属人性のあるプログラムは,その人しか分からない。
プログラムというのは誰が見ても分かるようなものでなければならない。
そのうちには(つまり今現在頃),CASEツールなどによってプログラム自体をコーディングする必要が無くなるだろう。つまり,システム開発というのはいかに属人性を排除するかがポイントである。」
と言われていました。

属人性というのは本当に悪いことでしょうか。
結論を先に言えば,「やっぱり人です!」といいたいというのが,今回のテーマです。
属人性の排除はただしいか


仕事の成果には、あまり属人性を出してほしくないという部分はあるのかなぁとは思う。
しかし一方で、この人の書いたコード(仕事)なら、検証しなくても安心できるという部分は多分にあることは多い。

思想の属人性

さらに、例えばある事件の裁判について、批判者自身が気に食わないと感じる判決が出た時、それを法理論的に検討するのではなく(中身を検討するのではなく)、裁判官の経歴等を参照して、「偏向した思想の持ち主による偏向した判決」というまさに属人性批判がなされることもこれまたしばしば見かける光景である。

このようにインターネットにおいては、為された言明がそれ自体で妥当であるかどうかがリテラルに判断されるケースが殆どであるという認識がそれほど妥当だとは思えない。
「誰が言ったか」の重要性 (Dead Letter Blog)


仕事と同じく、その目的にも寄るのかなぁと思う。

属人性が悪だという啓もうの弊害かも

人が面白い話をしていれば大いに楽しむが、別にその人の事を知りたいとは思わない
アイドルの笑顔にメロメロになっても、その子の人生には興味が無い
面白い映画を見ても、その監督やスタッフには興味はわかない
好きな本はあるけど、その作家に興味は無い
鶏卵は好きだけど、雌鳥なんてどうでもいい

結果しか必要とせず
他人に何かを期待するような事はない
他人に対して関心が持てない人達


差別や偏見とかの啓もうとか・・・

・属人性があるために、正当に評価されない部分を救う
・属人性があるために、不当に高く評価されている部分を批判する

とかそういう中で、人と切り離して評価するということを徹底しすぎた部分があるのかもとは思う。

ネットでは、属人性の方向に戻りつつあると思う

戻りつつあるというか、結局もとに戻りましたみたいには私は感じます。

もっと定着させろや自分のブランドイメージをよぉ
あの人と言えばこのアイコンってなるまでよおおお
アイコン変えたらみんなに惜しまれるくらいまでは
twitterとかLINEとかでコロコロアイコン変えるやつ


何をいったか?でなくて、
だれが言ったかが重要だと、
アイコンでの判別はかなり重要。

しかし、誰が言ったかを重要視しているからといって、他人に興味があるわけではない。

アイコンをなぜ変えたのか?という他人に興味を持つのでなくて
アイコンをかえると不便なんだけどというところに落ち着いてる感があると思うので・・。

本当に、他人(人)に興味がある人は、
誰が言ったか?という部分の延長に、何を言ったか?の変化形の「なぜ言ったのか?」という部分にたどり着きそうな気がするんですね。

なぜ言ったのか?という要素は、何を言ったか?よりも属人性を排除しにくい要素のように思う。

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。