「やさしい人」になりたいのなら、論理で無くて、相手(人)を見ようよ

優しいの定義。
自分の利益は考えずに本人のためになるかどうかを考えること。
注意する人は実は優しいと個人的に思ってる。(怒鳴ったり嫌味を言う人はアレだけど)
嫌われる役なのにやっているから。
自分が嫌われることより相手の成長を優先させているから。
ちょっと押し付けるような感じだけど、成長してほしいから注意するんではないか。
優しいの定義


定義に溺れて、その定義通りに行動しようという人たちが多いけど、
そういう人の優しさって、多くの場合、どうなのかなぁと個人的には思う。

文章上は、なんか素晴らしい理想のように見えたりはするけどね。

「相手から嫌われてもいうのが、やさしさ」とかそういう言葉に溺れる人たち多数だけど、

相手に嫌われないでもやれる方法はないの?とかそういう「やさしさ」には無頓着なんだと思うわけです。

相手に嫌な思いをさせなくても伝えられることを
相手に嫌な思いをさせても、いうのが友達だとか、やさしさだとか言う論理を使う人たちって
なんだかなぁと思う。

夫は甘やかしてはダメだ、妻は甘やかしてはダメだ、子供は甘やかしてはダメだ

逆に、甘やかす人は好かれたいとか、
疲れるからとかいう理由で本人のためにならないことをさせる。
つまり、本人のためになることよりも自分の利益を優先させている。
貴方は部下後輩年下子供にどう接しているだろうか。
優しいの定義


人間関係を大事にするとか
信頼関係を大事にするとか
そういう点が抜け落ちているような気がする。

その前に、やさしさは、損得じゃないんだし・・・。
相手の為になるとか、ならないとか、そういう次元じゃないとおもうけどなぁ。

また、「表面的に」優しい人っていうのは怒らない。
でも、それってなんだか諦めのような感覚があるんじゃないだろうか。
期待してないし、みたいな。期待してなかったら怒らんし。
優しいの定義


長い目で見てあげようという、やさしい気持ちの人たちだって多数いるよ。
きついことをいわないで、柔らかい言葉で、その内容を薄めて、という感じで・・・。

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