「働かざるもの食うべからず」というのは、家族なんだから助け合いましょうよって言う意味だと思うよ。

『テサロニケの信徒への手紙二』3章10節には「働きたくないものは食べてはならない」という一節がある。

If any would not work, neither should he eat. 「働こうとしない者は、食べることもしてはならない」


これが「働かざる者食うべからず」という表現で広く知られることとなった。ここで書かれている「働きたくないもの」つまり「怠惰なもの」とは、働きたくても働くことができないで人の世話になっているといった、止むを得ない生活をしている人のことではなく、正当で有用な仕事に携わって働く意志をもたず、拒んでいる者のことである。

ソビエト社会主義共和国連邦およびソビエト連邦共産党(前身はボリシェヴィキ、現在はロシア連邦共産党)の初代指導者レーニンは、同党の機関紙「プラウダ」第17号(1929年1月12日発行)にて論文「競争をどう組織するか?」を寄稿し、「働かざるものは食うべからず」は社会主義の実践的戒律であると述べた。かつて、レーニンがこの言葉を使った際には不労所得で荒稼ぎする資産家達を戒める為のものであった。その後憲法典では1936年制定のソビエト社会主義共和国連邦憲法(スターリン憲法)では第12条にこの表現がある(1991年ソ連崩壊でこの憲法は失効)。
働かざる者食うべからず - Wikipedia


本来の意味とかはあるけど、
「働かざるもの食うべからず」と言う人の気持ちって考えたことがあるのかなぁと思う。

・暇なら、家の手伝いぐらいしても良いのでは?
・臨時収入があったら、自身の趣味に使う前に、すべて家に入れるべきでしょう?

とかそのあたりの「気持ち」の大切さを軽視していると僕は思うんですな。
「働かざるもの食うべからず」というのは、家族なんだから助け合いましょうよって言う意味だと思うよ。

「働かざるもの食うべからず」を都合よく使っている人たちがいるのも事実

でも、都合よく逆利用している人たちもいるんじゃないの?

批判している人たちと立場が違うだけで、
結局は、身勝手で自分勝手であるのなら、一緒だと思う。

別に働かなくても、食べても良いとは思うけど、
援助してたり、養ってる方の気持ちはどうなるの?って話ですよ。

社会が悪いのは確かかもしれないけど、でもその矛盾を押し付けられていると憤慨していても
さらにそのつけを、違う人に養うという形で押し付けてはしないか?って話。

援助してもらってる、養ってもらってる人には感謝した方がよいし、
その感謝も気持ちだけで無くて、行動という形であらわしたほうがよいのに決まってると僕はおもうけどね。

家の手伝い=児童労働

子供の頃に「女の子なんだから」と有無を言わせず仕込まれた
掃除洗濯片付け皿洗い裁縫料理、
今思えば家庭内の児童労働だったんだなあ。
お手伝いと言う名の児童労働


僕の小さい頃は、農家の子は、男の子なんだからといって、忙しい時期は手伝わせていたよ。
流石に、田植え時期・稲刈り時期には学校休ませるとかそういう時代ではなかったけどね。

家のお手伝いなのか、児童労働なのかは時代によってその境界ラインは微妙な感じではあると思う。
ただ、家のお手伝いって、家族なんだから助け合わなきゃという部分もあったと思うんですね。

話は全然関係ないけど、公務員は、家の手伝いだと副業にならないそうな・・・。
農家の公務員は、家業を手伝ってたりするよ。

地域によっては、家業の手伝いとして、休日に農業や水産業に従事する公務員は珍しくない。ただし、「報酬」として対価を受け取ることはできず、建前上はあくまでも「手伝い」なのだという。
無許可で水田耕作して「停職6カ月」 公務員の副業は「赤字」でも処分される?


抜け穴的に使っている人もいるかもしれないけど、
家族のものが困っていて、手伝えないなんてことはちょっと考えにくい時代?の名残みたいなものでは?
でも、家族で手伝ってくれる人がいるのに、人雇えとかいわれても雇えずとかだと・・・。

極論っぽいのは、辞めた方がイイとおもうけどね

物心つくころになれば、親とある程度は対話できるわけなので、対話した方がいいと思うよ。

今時は少ないけど、学歴なんか必要ないとか、塾にまで行く必要はないとかいうので困ってるとかそういうのは聞いたことはある。ここに女性という属性をつけるとややこしいからつけないけど、そういう属性の人もいた。

みんながみんな出来るわけじゃないが、親と対話?して、なんとか希望の一部を獲得した人もいるのはいる。

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