「自分で考える」という意味合いが、「オピニオンリーダーの意見を探す」という人が多くなってきている現象について

オピニオンリーダー(英: Opinion leader)とは、集団の意思決定(流行、買物、選挙など)に関して、大きな影響を及ぼす人物。



狭義には、社会学用語として、地域社会あるいは集団において、社会的地位や階層の点でフォロアーと同質的な存在であるにもかかわらず、それらの集団の意見や行動、判断に関して、影響力を持つ人をいう。一般的にはそのコミュニティーにおいて頼られている人がオピニオンリーダーの役割を果たす。これらのリーダーが媒介となってそのコミュニティーに新しい情報が浸透していく。
オピニオンリーダー - Wikipedia


まずは、そういう教育を受けてきてしまったから

自分の頭で考えて
私と同じ考えになるべきだ


自分でよく考えなさいといわれて、
良く考えて答えても、相手が望まない答えだったら、
もっとよく考えてごらんなさい
となり、
結局、自分で考えるという意味合いが、相手の思考を読んで「答え」を探し出す作業になっていまっている
ことが多かった場合において、
いつの間にか、自分で考えるということが、そういう意味合いにずれていく可能性はあるかと思う。

当人は、それが自分で考えるということでないと分かっていても、無意識にそう行動してしまうようになるんですね。

親・学校の先生・クラスを実質仕切っている人の意見に沿うことが、集団の中で快適に過ごせる術でもあるわけですから。

まあ、社会人で会社という設定にしてもおなじかとは思うけどね。
大人が自分の頭で考えられているわけじゃないので、心配するな?というか心配したほうがいうか・・・。

自身の考えが、常識的か?正しさか?を過剰に意識してしまう

最近まずいなって思うことがあって、例えば「○○は常識はずれだ!」みたいな記事があったとして、
「たしかにその通りだなぁ」とかって思いながら読んでいくんだけど、ふとはてブとかTwitterで
「いやそれは違うだろ」みたいなコメントが多数をしめてると、あれ、そうなのかな?って意見に流されてしまう。



あまり他人の意見に流されて生きて行きたくないと思いつつも、他人の考えが気になってしまう。
他人の意見中心に考える癖がついてしまった


自身の意見をごり押しする手段として、
・大義をかざす
・正義をかざす
・常識をかざす
・マナーをかざす
・倫理観をかざす
などいろいろな手法があって、多くの人がそれを乱用しだしているので

他人の考えをみて、いろいろ考えざるをえないという一面はあると思う。
でもって、
・あの人がこういってるから
・多数の人がこういってるから
というのが評価軸になっていくこともあろうとは思う。

他人の意見をみてしまうと、自身では考えられない、影響をうけてしまうという一面もあるけど
それいがいにも、他人の意見をどのように日頃受け入れているかによるかと思う。

情報を遮断しても、自身では考えられないかもしれないってことですね。

「自分のアタマで考えよう」という「オピニオンリーダーの意見」が、実質考えることを進めていない理由

「オピニオンリーダー」としては、自身の意見の通り具合が大事であって、周りの人たちが自分自身で考えて、反抗してくるのはどうも都合がわるいというのはある。

まあ、「オピニオンリーダー」に限らず、多くの人はそういう傾向にはあるけど・・・。

「オピニオンリーダー」的な人は、自身が中心であることは心地いけど、端っこの陰の光の当たらないところに追い込まれるのは嫌だから仕方がないでしょう。

みんなが本当に自身で考えるようになれば、「オピニオンリーダー」が増えるか、「オピニオンリーダー」の影響力が下がっていくのだから。

価値観が多様化すると、扇動?しにくいっていうのをみても、わかるかと思う。
多くの人が、自身で考え始めれば、価値観が多様化するのは過去の歴史をみてもそうなっていると思う。

もちろん、それ以外の変化もあるだろうけd、
「自分で考えよう」というのは、集団というシステムにおいては危険なのかも。多数決でさえも機能しなくなる危険性さえあるわけで・・・。

「なんとなく、おかしい」という直感を大事にして・・・

「なんとなく、おかしい」と感じたら、それはもう自分自身で考えられるようになっているのかもと僕は思うんですね。だから、その気持ちを大事にすべきかと思います。

もしかすると、漠然とした思うが頭(心)のなかにうずまいて、存在していて、それが「あなたの考え」なのかもしれないのだから。

あとは、上手く表現するとか、うまく言語化するとか、うまく周りに使えるとかそういう分野の話かもしれません。

自身で考えることが本当は出来ているのに、周りからはそう観測されないというだけかもしれません。

「だれだれ」と一緒

「だれだれ」と一緒というのも、自身の考えた結果の場合も多いかと思います。差別化しないと、オリジナリティがないと、自身で考えたといえないと思い込んでいると、そのことには気づきません。

ただ、「だれだれ」と一緒が、代弁である限りはそうだろうけど、「だれだれ」がいなくなった時に、自身の考えがきえるのなら、それは、自身で考えているといえるのか・・・。

「自分のアタマで考えよう」のいう言葉にこだわってはいけない

抽象的な話は、誤魔化す手法がいろいろあるので、そういう言葉にこだわっていると、あっさり、どこかの誰かの発言に誤魔化されてしまいます。

まずは、自身で考えたことにほんの少しだけ自信をもつことが必要なのではないか?と思う。

オピニオンリーダー(政治家でも、ブロガーでも、芸能人でもなんでもいいけど)が、原稿を誰かに書いてもらってとか、過去の演説を真似してとかであったとしても、

オピニオンリーダーは、自身の考えを伝えることができることを考えれば、よくわかる気がします。

お前は、自分で考えられているの?

分からない。
ただし、考え方方向が、少数派路線(マイナー)路線になっているとは思う。

そういう状況では、代弁してくれる人を探すのは意外と難しかったりはする。
オピニオンリーダー系の人の言動は、気にいらないことが多いので、影響は受けてるけど、そのままのみこまれることは少ないと思う。

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