負け続けてきた人間が持つ強さについて

「負け続けてきた人間が持つ強さ」というものもあると思うんですが、上手くかけなくてごめんなさい。

ただ、その「強さ」をどう評価するかは価値観であり、その価値観に基づく話の持っていきかたによるかとは思います。

「負け犬」は「負け犬」だとする価値観もあるのは事実です。

ただ、何に負けたのか?(何に勝てたのか?)という部分は、多くの人は考えないことにしてる気もします。

「何に」の部分が、「誰に」でもいいし、そのほかでもイイでしょう。

成功体験(勝ち)と強さとの関係について

たまに劣等感の塊みたいな奴がいるけどめんどくさすぎ。



ある程度年をくった人間同士はお互いに多少の成功体験があって自尊心がないと、日常会話すらままならないんだなぁとしみじみ思う。
一貫して、負け続けてきた人って価値観が違うな
劣等感の強い人間と関わってはいけない


単に気が合わないだけをアレコレ言う必要もなく、
またそういう人と距離を保てず付き合わないといけない場合に置いても、
それなりに対応できるのが、年をくった人間だと思うけどね。

「一貫して、負けづつけてきた人」という文言のインパクトが結構あって、
でも、「一貫して、負けづつけてきた人」にも、「強さ(いい人)」を感じる人はいるよという話を書きたいと思ったのですが、

結局、そういう「強さ(いい人)」を感じる人の近くにいて親しくすれば、たいていは貧乏くじを引きかねないので
「めんどくさ」っていう論理になるのかなぁと思う。

たんに、勝ち組の近くにいれば踏みにじられても、おこぼれが手に入るけど、
そうでない場合は、おこぼれも手に入らないし、嫌なことも合いやすいから、嫌だという話なのかなと思ってみたりした。

まあ、勝ち組でも、めんどうな人はいますけどね。
例をあげると、上司とかそういうたぐいで、面倒な人はいないのか?って話ですよ。
上司なんで、負け続けているとは定義しにくいとは思うけど。

負け続けてきた人間が持つ強さについて

知人を見てちょっと思いついたものだけ書いておく。
こういう強さって、なかなか分かりにくく、
自分自身が心が弱ってる時にしか、感じられないもののような気がする。

価値観が違うために、そういう「強さ」を見逃してしまっていることも多々あるとは思う。

・話すときに非常に、言葉を選ぶ
・他人を踏みつけない
・自身の気持ちよりも、周りの気持ちを大切にする
・理不尽な目にあっているのに、笑顔で居られる

お前はどうなんだといえば、負け続けてるのに、上記の部分は一切ないと思う。

なぜ「強い」と思うかといえば、
理由は分からないけど、強いものに踏みにじられそうとか、便利に使われそうな態度?なのに
あえて、そういう路線を貫きとおすってところですかね?

多くの人は、負けているはずなのに、認識しないだけなのかもしれない

これまでの人生において負けたことしか記憶に無い。かけっこで負けた。サッカーで負けた。野球で負けた。喧嘩で負けた。歌で負けた。昼寝で負けた。国語で負けた。算数で負けた。道徳で負けた。社会で負けた。中学受験で負けた。英語で負けた。数学で負けた。異性へのモテ方で負けた。服装のセンスで負けた。スマブラで負けた。ポケモンで負けた。ゲーセンで負けた。カラオケで負けた。高校受験で負けた。化学で負けた。物理で負けた。倫理で負けた。政治経済で負けた。模試で負けた。センター試験で負けた。大学入試で負けた。TOEICで負けた。レポートの評価で負けた。プログラミングで負けた。サークルで負けた。バイトで負けた。研究室で負けた。卒論で負けた。インターンで負けた。プレゼンで負けた。就活で負けた。論文のアイディアで負けた。先輩に負けた。同期に負けた。後輩に負けた。資格で負けた。起業で負けた。修論で負けた。研修で負けた。配属で負けた。同業他社に負けた。昇給で負けた。転勤場所で負けた。彼女に負けた。義両親に負けた。子供に負けた。会社に負けた。酒に負けた。タバコに負けた。パチンコに負けた。競馬に負けた。競輪に負けた。競艇に負けた。人生に負けた。

そしてまた今日も負けた。これまでもそうだったのだから、これからもそうなのだろう。
とんでもなく苦しいし辛いし毎日が嫉妬の連続だけど、自殺するほどの勇気もないからそこでもまた負けた
明日はどんなことで負けるだろうか。
また負けた


究極、負けない相手と比較すれば、負けを意識しなくても済むという部分はありそうに思う。
だから人は、苦しい時は下をみて、精神的バランスを保とうとするんだろうなぁと思う。

ただ、苦しい時ほど、上をみて、背筋を伸ばしたほうがよさそうに思うけど、なかなかそうはならない気もする。

あとは、勝ち負けを意識しないようにすれば、負けていても、負けを認めていないので、負けない。

負けを認めるという部分に関しても、
自分自身で認めるまで負けだと認知しない人もいれば
周りの人に負けたと認知されるとそれだけで負けたと思う人もいるかと思う。

負けるが勝ち

祖母は妾の子供だったらしく,小さい頃から苦労しており、また結婚してからも飲んだくれの祖父の代わりに働きに出ていましたから、様々ないじめを受けていたかと思います。女は家庭でと言われた時代。会社ではいい役職まで行ったようです。今で言うキャリアウーマンでしょう。だから歳をとってからもとにかく家にいない。働きまくる。農家の手伝いや学校の用務員のバイトまであらゆる事をやっていました。そうした生活から祖母が「負けるが勝ち」だと思って頑張ってきたのだなとも思います。

それで実際、祖母は勝てたのでしょうか。それはよく分かりません。とにかく死ぬまで働くような人。そんな印象の祖母です。「負けるが勝ち」というのは祖母にとって負け惜しみではなく、大変な人生を今度は勝ってやるんだと生きる糧としていたのかもしれません。色々と口うるさい婆さんでしたが、もう亡くなって10年になります。
祖母が教えてくれた「負けるが勝ち」という言葉 - いつか朝日が昇るまで


「負けるが勝ち」を生きる糧にしていた人の強さというのはあるのかなぁとは思いました。



欽ちゃんは、「運がいい人」はなぜか“負け好き”の人、だという。
負け好きの人は、失敗しなれているということでもある。

失敗しなれている人は、打たれ強いし、起き上がりこぼしのように転んでも何度でも立ち上がる「飄々(ひょうひょう)とした軽さ」がある。

逆に、負けず嫌いの人は、他人に負けることを嫌う勝気な性格であり、負けないことに執着するという、「融通のきかない固さ」のようなものがある。

軽さや柔らかさは明るさにつながるが、固さは明るさにはつながらない。
負けるが勝ち|人の心に灯をともす


うーん・・・・。

強い物や、理不尽なものには勝てないので・・

多くの人は、ある意味、負け続けているはずなんですけどね。

「勝ち続けてきた強さ」も
「負け続けてきた強さ」も

結局のところ、生き続けてきた「強さ」なのかもしれません。

ただ、はっきり分かっていることは、
勝ち続けるのには、強さが必須でなくて、環境や運や条件がよいだけでも勝てます。

勝つだけでは得られないだろうし
負けるだけでも得られないだろうし
長く生きるだけでも得られない
「強さ」みたいなものが
あるような気がします。

心の余裕のない人は、勝ちを譲れないし、負けられないという意識が高いと思う

執着心みたいなものでしょうね。

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