夢をあきらめても正解だし、 夢を追い続けても正解なんです。

到底自分の絵に自信を持つことはできないように思われた。絵を描くのをやめてみたら、幻想が解け、あとには多少人並み程度に絵を描けただけの人間と、やたら部屋を散らかす荷物だけが残った。昔抱いた等身大の目標も、全ては稚気じみた夢に思える。

つらい。
絵を描くのをやめてみたら幻想が解けた話


強迫観念で頑張っている人は、燃え尽きやすい

たぶん、
意識が高い、ポジティブ、頑張り屋さん = 強迫観念がある
という構図なんじゃないかなと思う。

一旦、離れてみるのも悪くない

■■■■を辞めて、その後忘れてしまうのも良いだろうし
■■■■を辞めたのに、また始めてみても良いだろうと思う。

■■■■ことだけが、人生じゃないともいえるし
■■■■ことこそが、人生ともいえる

はっきり分かっていることは、いったん離れてみることも悪くないってことです。

■■■■は、
絵を描く
文章を書く
ブログを書く
プログラムを作る
・・・
なんでもいいわけですけどね。

しかし、戻る時は意外と大変

離れると見えることがあるが、
戻る時は、勘が鈍ってるとかそういうのがあり、
前のレベルに戻るのは、すこし苦労することが多いと思う。

だからこそ、強迫観念がある人たちは、逆に離れられないんですね。

「強迫観念=情熱」なのかもしれない

絵を描くことに意味もなく追われていたあの時期が、次第に思い返すに幸福には思えなくなってきていた。
絵を描くのをやめてみたら幻想が解けた話


僕の場合なら、意味もなく追われて頑張っていた日々を懐かしく思うし、その時はその時でつらかったけど幸せだったと思うと思う。

たぶん、直近の感覚と、しばらくたってからの感覚とは違うんだと思います。

それは離れてみて初めて気づくことがあるように、年月が経ってみて初めて気づくことがあるのと似たようなものだと思います。

人生の結論は、Aでも正解だし、Bでも正解なことが多い

その選択が正解だということを示すために、もう一方の選択はダメな選択だという風な論理を組み立てることは、意味がないし、逆に追い詰めると思うのでやめたほうがよいと思う。

夢をあきらめても正解だし、
夢を追い続けても正解なんです。

逆にいうと、どちらも正解だからこそ、選択に迷うんですね。

人生の選択の理不尽さ

人生がドツボにはまっているときは、
Aでも不正解、Bでも不正解という場合があり
それでも、どちらかを選択しないといけないという場合に、
どっちが正しいか?なんて考えても意味がないんですね。
どっちも不正解なんだから。

マシなのは、被害が少ないのは、どっちという選択の仕方もあるが
結局は、被害の種類が違うだけで、被害の大きさはどっちも変わらないってこともある。

選択の正しさを探すゲームではないらしい

多くの場合、結果がよければ、正しくて
結果がわるければ、正しくないというのが相場?だから。

まあ、運がよかった、運が悪かったと解釈すれば、正しさという概念からは逃れられる。

・選択は正しかったけど、運が悪かった
・選択は間違っていたが、運がよかった

ただこの場合も、後者を認めたがらないんですね。
だって、「選択が正しかったから、結果も良かった」と解釈するほうが幸福なんだから。

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