意味や理由を考えるときは、「救い」を求めているときだと思う

意味や理由を他人に問うてる時は、たいてい別の物を求めていると思う。
「意味や理由」というのは、自己肯定・自己確立しやすい便利な道具だからだとは思う。

「救い」を求めている

「答え」を探しているわけで無くて
「救い」を探している場合が多いと思う。

その証拠に、充実しているとき幸せな時には考えない。
まあ、充実していて幸せな場合でも、不安を感じだすとそういうのを考えだすと思う。

意味や理由を考える以外には、
過去(思い出)を振り返りがちになるという人も多いかと思う。

思春期の時などもそういうのを考えがちなんだけど、
この時期は、精神(心)が不安定になっているので、仕方がないとはいえる。

感受性が高い時期といえば聞こえがよいが、要は心が不安定すぎる時期。
心の病系の発病も意外とこの時期に多いことが分かっているので、不安定なのは事実でしょう。

あと、この時期に刷り込まれたもの(洗脳?)が、その後の人生観に大きな影響を与えかねないというのも事実だとは思う。

人生には、意味がない。夢にも意味がない。未来にも意味がない

ニーチェに言わせると、生きたいと思わせるような目的がある時にだけ、人生というのは生きるに値する。ニーチェは、「全ては意味が無い」などとしてしまうニヒリズムなどというのは要は目的が欠如しているのだ、と指摘した。ニーチェはまた禁欲主義というのも人生の否定だ、とした。ニーチェは、価値というのは、客観的な事実なのではなく、人間の理知が必要としているものなのであって、世界と自分を結ぶコミットメントなのだ、と述べた。つまり結局、人生をどう評価するか、ということは解釈の問題なのであって、世界自体が(客観的に)どうあるか、という問題ではないのである。そして人が想うことは、その人の特定の立場から来ているのだ、とした[14](ニーチェのこの考え方は「perspectivism 遠近法主義」と言う)。
人生の意義 - Wikipedia


小難しいことは分からないが、「生きたいと思わせるような目的がある時にだけ、人生というのは生きるに値する」というのも一つの答えなんじゃないかなと思う。

意味を見いだせれば、人生には意味があり、夢にも意味があり、未来にも意味があるようになると。
意味を見出す前後では、何かが変わったのか?といえば、本当はなにも変わっていない。

「意味」という固定されたもので無くて、
見出すとか
つくりだすとか
そういう部分が抜けがちなんじゃないかなぁと思う。

人気映画"Back to the future part 3"(1990年)でドクターブラウンが最後にこういう。
"Your future is whatever you make it, so make it a good one."
「未来はどんなものでも君が作るものだ。だから未来を良いものにしなさい。」



ドクターブラウン「そりゃ白紙になって当然だ。」
ジェニファー「どういうこと?」
ドクターブラウン「未来はその紙のように真っ白だってことだ。誰の未来もな。未来は自分達で作るんだ。素晴らしいものにしなくちゃ。
マーティー「きっとそうするよ。」
未来は自分達で作るんだ。素晴らしい未来を作りなさい! - 世界変動展望


未来は、ある程度は予測可能だけど、
しかし、実際には予測できたとしても、これから起こることである、作りだすことであることを忘れがちな人も多いのだと思う。

「意味がない・意味がある」論理の無意味さ

意味づけできるかどうかなので、
意味づけが得意な人は、簡単に意味づけできるだろうし
そうでない人は、意味を見いだせないだけといえなくはない。

そもそも、意味って、誰にとっての「意味」なのか?なんですね。

神にとって?
人間にとって?
その人個人にとって?

救いを求めているのに、別の物をさがしても、救われない

まあ、代わりの物でうめれば、一時しのぎはできるとおもうけど。

人生の意味が分かっても、逆に絶望しかねないとおもうし、
そもそも、人生の意味なんて、過去の哲学者もよくわかっていないようなんだから
それよりも劣る知性の人たちが、分かることがあるか?といえば、分かりえないんじゃないかなとも思う。

「救い」は無理でも、「心のよりどころ」を作るのは比較的容易である気がする

意味が必要のない人生を、自分の人生に意味なんてないのかも知れないと怯えながら生きるのはもうやめだ。
これからは堂々と生きていこう。
俺の人生に意味はあるかも知れないし、無いかもしれない。
もしも意味なんてなくなたってそれに何の問題もない。
「人生に意味や理由なんて無い」を飲み込むのにやたらと時間がかかった


開き直り系統も、心のよりどころになりやすいと思う。

逆切れといえ言われても、開き直ったほうが、ストレスという観点の生きやすさはイイんじゃないかなと思う。

「給料」より「やりがい」を

給料 = 意味、救い
やりがい = 心のよりどころ

給料が少なくても、やりがいという心のよりどころを持つことによって
救われない場合でも、何とかなる?

本質なんかどうでもよくて、
心が軽くなって、生きやすくなるのなら、
本物でも、まやかしでも関係ないんじゃないでしょうか?

だって、生きているというのは、本物なんだから。

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