「利権」や「既得権」の批判を、「妬み」にすり替える論法が、事態をますます悪くする

この手の公務員叩きの記事があると、必ず発生するコメントに、
「なんで公務員叩きする人って公務員にならなかったんだろうな」
ってのがある。
スターもそれなりについていて、同意する人が多いみたいだけど、理解できない。
「なんで公務員叩きする人って公務員にならなかったんだろうな」


公務員になれたら、解決できるというのなら、
貧富の差が激しい社会であっても、金持ち側になれれば問題ないんでしょう?というロジックとほぼ変わらないと思うんですね。

「不公平だ」という思いは、「妬み」から生じることもあるでしょう。

まあ、「妬みがない人」から、これはおかしいんじゃないの?というがなかなか出てこないのは、既得権者で、既得権を守りたいから。

会社で、成果以上に評価されて、ボーナスとかもらったときに、
これはもらいすぎですとかいう人なんて、ほとんどいないと思うんですね。

目の前に、本来評価すべき人たちが、評価されずに、それなりのボーナスしかもらえないとしても
評価してるのは、私じゃないからという理由で、自身がもらいすぎていることをおかしいとか言いださないだけです。


批判の標的を間違えるのは、確かに良くない

「妬み」で唯一意味があると思うのは、批判の標的を間違えるのは良くないと思う。

成果も上げていない同僚でボーナスを多くもらっているという事実で、
その同僚を批判するのは、妬みであろうとなかろうと、
不毛なことになりかねないと思う。

これが公務員になれば、変わるのか?といえば、
世の中の構造や、システムの理不尽さを問題としているかどうか?だと思う。
それが、妬みからでてきているとしても。

公務員という言葉のミスリード

公務員という制度と
公務員の人たちという個人と
そういうのを場合によって使い分けてる部分を見逃してはいけないと思う。

個人かシステムかを見分けるのは意外と難しいが、
公務員でも、そんなにもらってない人たちもいるよという発言が意味をなさない場合は、
制度(システム)としての公務員だと思う。

イメージ戦略で、騙し合いしてるんじゃないの?

これは、妬みだから、意味がない批判だと思わせる側も、
妬みを利用して、誘導しようとする側も
どっちも、どっちなんじゃないかなぁと思う。

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