いつの時代にも、富を持つものが少数で強いのは、そのシステムの勝者だから

民主主義は多数決だけど、「自由意思」が無ければ意味がない

この世はすでに詰んでいる。
世界の富が少数にに集中して終わり。
金をとるためにあの手この手で壁を壊しに来る。
資本主義ルールでは富を持つものにはけして勝てない。
ならば戦争だ。
この世はすでに詰んでいる。 世界の富が少数にに集中して終わり。 金をとる..


自発的に考えて判断しているように思わせて、自由意思を奪っていけば、「民主主義=多数決」というシステムを使いながらも、都合のよいように誘導することはできるんじゃないかなと思う。

この状態では、民主主義はあってないようなものだと思う。

一番分かりよいのは、ブラック企業に勤める人は、自由意思でその会社で入っているかどうか?っていう観点です。
もちろん、「自由意思だ」とおもっているひとは、僕の言っていることは「負け犬の戯言」に過ぎないので、速攻でブラウザを閉じたほうがよいと思う。

民主主義の決定だから、文句言うなという路線

こう聞くと、「多数決なら多くの人の声が入ってるんだから、やっぱり民主主義的なんじゃないの」と一見思えてしまうかもしれません。

そう、そうだったらいいんですが、この「多くの人の声が入っているはず」という感覚が曲者なんです。

確かに、多数決によって狙い通り多くの人の声が意思決定に反映されることはあります。しかし、多数決というのは多くの人の声が意思決定から漏れる抜け穴を作ることもできるシステムなのです。(下手をすると、現実にはこの抜け穴の方がよっぽど使われてしまっている可能性が高いぐらいです)
「民主主義=多数決」じゃないよという話 - 雪見、月見、花見。


多数決だから、民主主義ですとかいうのも、分かりやすい標語なんだろうなと思う。
民主主義だから納得しろというのを悪用すれば、民主主義なんて崩壊していく気はするけどね。

法律できまってるから
ルールできまってるから
従えといいつつ

一方では、
法律が時代についてきていない
ルールが間違っていることもあると
いうスタンスで、都合よく法律を変えていこうとする

人たちがいるわけで、
法治国家だからといって、万能でないのをみれば

民主主義だって似たようなものでしょう。

いつの時代にも、富を持つものが少数で強いのは、そのシステムの勝者だから

どういうシステムを採用しても、結局は権力を持つものが出てきて、権力と富とは相性もよく、そしていちど出来上がった秩序は、加速的にそれを守ろうとする傾向が高いと思う。

新しいシステムでは、一部の権力者と富ある人たちを排除できても、
あたらな、権力者と富ある人たちに置き換わることの方が多いことを、過去の歴史は示している気がします。

一度手に入れたものは、既得権として守ろうとするのも同じなんですよ。

成果主義・・・成果に対して値段をつける
能力主義・・・結果ではなく能力に応じて「ヒト」に値段をつける
職務主義・・・職種・職位など、「ヒト」ではなく「ポスト」に値段をつける
成果主義・能力主義・職務主義の違い | 新米コンサルタントの起業日記


国で無くて会社で考えれば、よく理解できる気がするけどね。
まあ、どんな主義を採用しても、「人件費削減したい」という意向があるかぎり、幸せになれる人は少なくなるわけです。

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