「遺伝子の継承(子孫を残すこと)」だけに、こだわる必要はないと思う

俺には子供できたのにあいつには出来ない。ケッ!!まじざまあみやがれ。お前は負けたんだよ。俺に遺伝子レベルで負けたの。さんざん威張って馬鹿にしてたくせに、お前は一台でついえるの。ご愁傷様。悲しいか?そりゃご自慢の遺伝子が残せねえんだからな。

俺には子供できたのにあいつには出来ない。ケッ!!まじざまあみやがれ。お前は負けた
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利己的遺伝子の影響もあるんだろうけど、遺伝子を残すことにこだわる人たちも多いなぁと思う。
まあ、血統を残す、子孫を残す、家を残すというのと相性がいいので、その延長で受け入れているだけなんだろうと思う。

優秀なものが生き残るみたいな感じで理解している感じでもある。
ただ、その時の環境に生き残れたものが生き残るという話だって、優秀だから生き残れるわけでもない。

養子をもらって、家を継続する方法もある

コレに意味があるかどうかは、価値観次第だとはおもうけど、
昔は良くやられていたことでもあるとするなら、その当時には価値があったのだろうと思う。

家というものを守れるわけなので・・・。
1代、2代というのは、家の概念のような気はする

知識や技術を世に残すという方法もある

伝統なんちゃら系のものは、そういう傾向が多いと思う。
この場合において、血のつながりを一切無視して、伝承するところもある。

知識や技術は、遺伝子とは違うものだ?!

ミームは遺伝子との類推から生まれた概念である。それは、情報が「進化」する仕組みを、遺伝子が進化する仕組みとの類推で考察できるということである。つまり遺伝子が生物を形成する情報であるように、ミームは文化を形成する情報である。遺伝子は子孫へコピーされる生物学的情報であるが、ミームは人から人へコピーされる文化的情報である。遺伝子が「進化」するように、ミームも「進化」しており、それによって文化が形成されていく。



もともとミームという言葉は、動物行動学者、進化生物学者であるリチャード・ドーキンスが、1976年にThe Selfish Gene(邦題『利己的な遺伝子』)という本の中で作ったものである
ミーム - Wikipedia


結局は、どのように見える(観測される)という話で、あって
遺伝子も、ミームもそう大差ないのかもしれない

思想・作品、いろんなものがこの世にはあふれている

作品などを残すというのも、まあ分かりやす行為なのかもしれないなぁと思う。

遺伝子情報の貴重さと、個人の尊厳は別だともいえる

じゃぁ、同じ子供を生める(子孫を残せる)のなら
優秀な遺伝子を残せるほうが、勝ってるのでは?という話が成り立つわけなんだけど、

実際には、そういう勝ち負けって、ある価値観における概念的なものだと思うんですな。

IQが高い遺伝子の方が優秀に違いないという思い込みみたいなもの。
IQ高すぎても、脳が発狂しやすいので、精神疾患などにかかりやすい傾向にあるわけなんだけど・・・。

・・・・・

結婚しないのが当たり前な訳ないだろ。
殆どの人間がそれなりの歳になれば結婚するんだよ。
お前50歳になって仕事終わってファミレスで一人でミラノ風ドリア食うの?
何のホラーだよ。



世間からは冷たい目で見られ、親戚からは変態扱い。
話の合う友達もいなくなり最後は孤独に一人で死ぬ。


自分の為に生きるのなんて若いうちだけ。
そもそもインフラ使ってる以上子を産み次へ繋ぐなんてのは当たり前の事なんだよ。
その辺理解出来てない自分勝手で幼稚な考えしてる一部の人間に忠告しておいてやる。
最近結婚しないのが当たり前な風潮になってるけど


なんだろうなぁ、昔からあるこの手の論調は・・・。

結婚する覚悟があるように、
結婚しない覚悟みたいなものがあると思うので、そんな心配無用って感じもするけどね。

子供が多すぎるときは、一人っ子政策のようなことが正しくて
子供が少ない時は、子供を作らないなんて悪だみたいに
流れがちなんだけど・・・・。

社会の都合によって、個人の生き方の価値観みたいなものが変化するのはどういうわけなんだろう・・・。

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