人付き合いが上手な人は、使い捨てが上手い

使い捨て感覚なのは、多くの人が望んだ結果なのです

オブラートつつめば、距離感の取り方が上手い。
すこし辛口にすると、見切りが上手。

僕の結論だけ先に書くと、
昔の方法論は、役に立たないと思う。

つまり昔は、簡単に多くの人と出会える方法論があまりなくて、
ちょっとでもフィーリングが合わないとか、嫌だなと思った程度で、切り捨てていたら、誰も残らないという現状が容易に発生していたけど、現代ではそうではなくなったというのがあるかと思う。

だから、使い捨て感覚でも問題ないというか、無駄な苦労をしたくない人たちはそうしているというだけだと思う。

人間関係の話なので、職場で孤立すると困る場合は、ちょっとフィーリングが合わない程度では切り捨てないとおもうけどね。職場には、使い捨てにすると代わりの人がいないからという単純な理由でしょう。

無理して長く付き合っても、深い関係にはならないだろうし、フィーリングが合わないな、嫌な奴だなと思った場合は、その後そうそう変化することはない。つまり、切り捨てたほうが合理的だということを示唆している。

で、昔の方法は、出会いが少ない、代わりがいない場合において、有効な手段であって、それも周りの人たちが同じ戦略を取っている場合において有効だと思います。

現代に置いては、使い捨て戦略のほうが主流なので、昔の方法は、その効果を半減すると思う。だって、こっちが無理して付き合おうとしても、向こうから即切りされますよ。

で、即切りされると困る人たちは、現代病とかでっちあげたらいいんじゃないかなと思う。

話し合えば、分かりあえると幻想

当事者に直接告げれば理解は深まるというのに
これは現代特有の病なのか


理解が深まる前に、恨み買うか、喧嘩の火種になりそうな気がするけど。
そうならなくても、直接告げられたら、ブロックする人多数だと思う。

だって、それが、賢いやり方だって多くの人が認知しているのだから。

浅い関係で十分だと思っている人も多数いると思う

決して土俵には上がろうとしない。身の回りで少しでも自尊心が傷つくようなことがあれば
直ぐに他人を切り捨てて、別にあなたでなくても、私が望めば直ぐ別の他人がそこにいるからと
見つけては乗り捨て、見つけては乗り捨ての繰り返し。



これだけたくさんいる人口なんだから、いつか私の事を理解してくれる人間は必ず何処かにいるという
おめでたい願望を奥底に掲げているような素振りだが、
浅い付き合いの連続ではそんな人間なんて現れない。
これは現代特有の病なのか


浅いところで、フィーリングが一致していたら十分だと思っている人たちも多いんじゃないの?と思う。

ネットがなかった時代

女性が複数の男と付き合うのが当然視され、「アッシー」「メッシー」「ミツグ」「本命」と使い分ける。アッシーとは電話1本で車付きですっとんで来てくれる便利な男であり、メッシーとは食事を奢ってくれる人も入るけれど、お勘定の時に、これまた電話で呼び出すと、自分は何も食べてないのに、嬉々として支払をしてくれる男だそうで、ミツグ君とはちょっと頼むだけで、ブランドものをどんどん買ってくれる男。よくもまあ、何が楽しいんだか・・・女王様にお仕えする奴隷のごとき様でした。
バブル、アッシー、メッシー、ミツグ


ネットがなかった時代に自分は生まれていないから、その時代の対人関係については
憶測でしか言えないが、それでも現代のこの気持ち悪さは無いように思う。
これは現代特有の病なのか


ネットがなかった時代の一例は上記みたいなもの。
ごく一部だけど、本当に存在したと思うよ。

その人たちは、今や子供をもつ普通の親になっているわけですな。
でもって、最近の若い子は常識知らないとかいってそうな雰囲気。

仲の良いもの同士は、なれ合いしかない

周りも周りで、かわいそうだね。あなたは悪くないよと。虚しい肯定を繰り返して
お互いが傷の舐め合いを繰り返して、悦に浸っている姿がとても気持ち悪い。
これは現代特有の病なのか


パソコン通信時代から、ネットでやり取りされる交流で、「なれ合いが気持ち悪い」っていう人たちが一定数いたのは事実。でも、その人たちは、主流では今でも昔もないと思う。

いんじゃないの?
「なれ合いをしない」という「なれ合い」もあるわけで、
仲のいい者同士がやることって、所詮は、なれ合いなんですよ。

「なれ合いをしない」というのが相互に暗黙の了解で成り立ち、かつお互いに不快感をあまり感じないというのは、それこそ「なれ合い」なんです。

仲がよくないのに、なれ合いしてるのはおかしいというのは、あるかもしれないが
仲がよくないのなら、逆に喧嘩を吹っ掛けるべきではないとは思う。

結婚したいときにどうすればよいかと似てるかも

これだけたくさんいる人口なんだから、いつか私の事を理解してくれる人間は必ず何処かにいるという
おめでたい願望を奥底に掲げているような素振りだが、
これは現代特有の病なのか


使い捨てにするほどモテる人は、結婚に困らない傾向にある。
使い捨てできない人は、結婚自体に困る傾向にある。

つまり、恵まれた人たちは、使い捨てしても問題ないのかも。
使い捨てといっているけど、それは使い捨てできない人たちからみた価値観・視点であって、
実際に、使い捨てしているかどうかはまた別だと思う。

で、それらしい人間性に優れたアドバイスほど、結婚できない人を救うことは出来ない。

「仲がいい=気があう」と「仲がいい=助けてあげたい」とか違うと思う

「仲がいい=気があう」だけであっても問題ないんじゃないの?という話はある。
職場仲間、趣味仲間みたいに分かれていても問題ないのでは?

「仲がいい=助けてあげたい」路線の人は
一人に複数の役割を求める傾向があると思います。

で、使い捨て感覚の人は、「仲がいい=気があう」路線じゃないかなとは思う。

まあ、どっちにしても、借金の肩代わりをしてくれる友達なんてそうそういないわけで、本当に困った時に助けてくれる友達とか言っていると、逆にだれも残らなくなるんじゃないかなと思う。

使い捨てにしてないけど、友達として認識できる人がいないって状態。

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