現代においては、逃げ出さないで頑張ることが、不幸の原因

現代は、(昔と比べて)理不尽なことが少なくなった
現代は、サイクルが短く、時間の流れが速い

他にも要因があろうとは思うが、石の上にも三年という戦法があまり意味を持たなくなったというのは事実だと思う。
昔はなぜ有効だったのかというと、理不尽なことが多くて、時代の流れが緩やかだったので、たぶん耐えることに意味があったんですな。

まあ、年功序列でさえも崩壊してるんだから、辛抱する時間が評価されるというのは無理があるんだと思う。
丁稚奉公が有効な時代と、丁稚奉公という安い労働力と考える現代とでは、結果が違うのは明らか。

「逃げ出さない」と「あきらめない」は違う

  基本的には、
   あきらめないで頑張ることが大事

  例外として、
   大きな損失を防ぐために、やめる
   自分の心身の健康を守るために、休む
   愛する人のために、あきらめる
   捲土重来を期すために、一時撤退する

 夢や目標を簡単にあきらめてしまうのは、自分のためによくないでしょう。
 でも、場合によっては例外を認め、力を抜くことがあってもいいのではないでしょうか。
 早めに再起し、基本に戻って、また頑張れればいいのでしょう。
http://meigen.shiawasehp.net/song/010.html - 名言から学ぶ幸せのヒント


大体、歌になったり、教訓になったりするものは、多くの人が出来ないことが多い。
だからこそ、感動を生むんですな。
でもって、なぜか多くの人は、それなりに幸せである。

つまり、そういうことができなくても、幸せになれるんですよ。
ポエムは、口ずさむ物であって、
実践するものではないという性質があるのかもしれない。

でも、ブラック企業ではポエムを口ずさむのでなくて、
ポエムを実行しようとして、不幸な人たちが増えているのも事実。

たまに、ポエムを実行して成功する人もいるけど、不幸になる人の数に比べれば、その有効性が疑われるところ。

そもそも、「逃げ出さない」と「あきらめない」とでは違う。
諦めない路線は、逃げ出すことも許容される。
成功している人の多くは、諦めない人であり、逃げ出さない人ではない。
多くの場合、成功している人ほど、逃げ出すのが上手い傾向にある。

逃げ出さない責任感を称賛する社会

社会にメリットがあるので称賛されるだけ。
社会にメリットがあって、個人にはあまりメリットがない場合は、特に称賛される。

自己犠牲的なものも、かなり称賛される。
称賛するけど、打算的な人ほど、そういう行動をとらない。

打算的な人は幸せになれないか?というと、そうではない。
打算的な人は、この世の多数である。

無責任と考える前に、責任というのはどこの範囲を指してるのかを考えるべき

1ヶ月後復職したけど、まあ当たり前のことだが前のプロジェクトには戻れなかった。
でも2年頑張ってきたプロジェクトをここで抜けるのはどうしても、頭では理解しているはずなのに納得がいかなかった。
私の代わりがいっぱいいるのはわかっていたけど、それを投げ出してしまうことになった自分が許せなかった。
同じ会社だから嫌でもそのプロジェクトの状況は見えるし、状況を聞けば聞くほど戻りたかった。
聞くのは辛かった。聞いたら自分の無責任さを責めてしまうから。
これからどうするの?


責任というのは、本来は自分の意思で決めれるものではないと思う。
でもって、前のプロジェクトに戻る行為が逆に無責任という考え方も存在するんですな。

だって、前のプロジェクトで同じことをすれば、きっと再発するんだから。

世間でもよくあるじゃないですか?
責任をとって辞任しろとか・・・
でも、辞任しろといわれる前に、責任をとって辞任したら、
辞任することが責任をとるとおもうな、ちゃんとやることをしろとか・・。

つまりですね、責任なんていい加減なもので
上記の責任の取り方というのは、当人が嫌がることをさせるという制裁的な意味しかないんですな。

逃げ出さない=我慢すること

12歳のときに母が再婚して今の父親になった。
そこから私の家に自分の居場所はない。



自分でも上手く説明できないのが心苦しいが、絶対に実家には帰りたくない。
でも生きていくにはお金が必要だ。
お金を稼ぐためには、働かなくてはならない。
でも、今は十分に働ける身体ではない。


私が親に頭を下げ家に帰れば、私は生きていけるのだと。
頼る場所があるだけ幸せなこともわかっている。
それでも、家には帰りたくない。
これからどうするの?


■パターン1:実家に戻る方向
文章を読む限りでは、母親には正直にいえば、心が軽くなって、一時的には実家で世話になれるのでは?と思う。

「義父がいるので、私の居場所がないようで息苦しい」

気を使って今まで言わなかっただけなのでは?

「逃げ出さない」という方向が、我慢することに比重が置かれるとストレスがかかると思う。

プロジェクトで「逃げ出さないで」頑張るというのは、
プロジェクトに残って頑張るという部分よりも
ブロジェクとから逃げないという部分に比重が置かれているためにストレスがかかるのではと思う。

頑張るというのが、逃げないという我慢と辛抱に依存しすぎている場合は、ストレスになると思う。

まあ、今ならなんでも、病気のせいにしてしまえば済むというのもあると思う。
あとからでも、あの時は、心が病んでいてごめんねといえば、親子ならたいていのことは許される・・・。

■パターン2:実家に帰らないで、お金だけ支援してもらう
実家の裕福度にもよるけど、
義父がやさしい人なら、お金だけ送ってくれたりするんじゃないかなと思ったりする。

実家に戻らないで、母親に相談しないで、義父に話をすれば、逆に本当の親子でないので、意外とお金だけ支援してくれそうな気はするんだけど・・・。

これだと、母親に余計なことを告白する必要もなく、一度だけ義父にダメ元で言ってみるだけだし・・・。

■パターン3:生活保護
最近は、難しいのかもしれないが、
以前なら、こういうパターンの時に生活保護を受けれたと思う。

実家に帰るのがいやなら、この路線で、頑張ってみてもわるくはないと思う。

ストーリー性は大事

たとえば、本当は実家に帰りたくなくても、「本当は帰りたい」気持ちがある等の演出は大事。

虐待を受けていたとかそういうわけではない、血の繋がらない私に優しくしてくれる今の父に感謝はしている。
これからどうするの?


これがそう。

この原理をつかって、
逃げ出しているけど、本当は逃げ出したくなかったんだよというストーリを作って、自分をだましたり、周りを騙すことも可能。

多くの人は、そういうこともして、上手に逃げ出していると思うよ。
だって、この世の中の問題の多くは、解決できる問題のほうが少なくて、解決といっても気持ちを切り替えて我慢するか、それとも逃げ出すかのどちらかが大半なんだから。

人間関係のトラブルなんか特にそう。

嘘は、潤滑油になりえる

嘘つくのは悪いことかもしれないけど、人間関係において、嘘というのは潤滑油で、いがいと嘘があるほうが多くの人が幸せである

あと心の問題も、たいていは嘘が潤滑油になる。
認知のずれの問題とかいっているけど、現実をどう認識して把握するかの問題なので、本当にズレがあるかという事よりも、心軽くしてストレス負荷がさがるというメリットの方が大きいから。

つまり「嘘からでたまこと」みたいな感じで、嘘でもまことになることはある。

現実をきちんと把握できていない自信家のほうが、じつは成功しやすいのもそのあたりにあるかと思う。
だって、現実を把握できて、身の丈をしっていたら、挑戦なんて馬鹿のすることなんだから。

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