「イヤなものは見ない」というのは、訓練次第ではできるようになるのかも・・

SNSやめる、アカウントをミュートしまくるといったコメントをくれた方がいるけど、それって一時的処置にすぎないと思うんだよね。だいたいの人がなんらかのSNSを使っているので、見に行ったネットメディアや個人サイトのエントリで避けたい話題に触れてしまう可能性がある。結局その呪縛からは逃れられないというか。
俺は基本的にスルーしているんだけど、心の奥底にスルーした際の残り物がたまってきている感じがある。
「イヤなものは見ない」が限界に近い(追記あり)


たぶん、一時的な処置をしている間に、だんだんそうできるようになる可能性もあるのかなと個人体験上思います。

最初は、やっぱり気になるのでミュートしようがブロックしようが非表示にしようが、見る手段がある限り、僕の場合見てしまったりするわけなんですが、そういうのを繰り返すうちに、だんだん、見なくなってしまったんですね。

また、ほかのネットメディアやブログエントリーで、見たくない人や話題が出てくることもあるんですが、それさえも、心理的にスルーできるようになってしまいました。

よく「人の話を全然聞いてない」という感じの人がいるわけですが、そういう感じになってしまいました。
文字に書かれていても、嫌だなと思った時点で、記号にしか見えなくなり、読まないで去ることができるようになりました。

一時的な処置をして、スルーしてても、実際にはスルーしきれない状態の時もあるけど、ある峠をすぎると、完全にスルーできるようになることもあるんだなという感じです。

見たくないけど、関心がある、読みたい気持ちがあるという状態では、スルーするのは難しいし、実際スルーしても、心の底にもやもやしたものが残るのは当然だと思うんですね。

それが、見たくない、関心もない、興味もない、読みたくもないという状態にまで消化されれば、スルーできるようになるかと思う。

一時的な処置は、必要

完全でなくても、遮断したり、距離を置けるような仕組みを利用することは、結果としてスルーの方向につながりやすいと思う。

音信不通になった気の合わない友達は、そのまま音信不通になるのと同じような感じかと思う。
きっかけがあれば、完全に断ち切れる可能性がある。

嫌な上司の小言も、スルーしないと生活できないとなれば、スルーできるようになる人も多い。
嫌な客の応対も、スルーしないと生活できないとなれば、スルーできるようになる人も多い。

僕たちは、意外とスルー力を現実世界では持っているわけです。

情報遮断、感覚遮断、感情遮断
実際のいみとは少し違うがそういう感じでは。

ネットで出来る一時手段は、情報遮断のことが多いけど、
そこに、感覚遮断とか感情遮断を導入できればよい。

文字が書いていても、記号にしか見えないというのも、感覚遮断と感情遮断みたいなものだと思う。

現実世界でも、そういうことしてますよね?

スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。