「いじめ、カッコ悪い」の実態が、「いじめられるのが、カッコ悪い」になってる気が・・

「いじめの当事者になった事がない人にとって、いじめの被害に遭う事はやはり恥ずべきことなのだ。いじめに遭わない事が誇ることならば、いじめに遭っていた事は恥ずかしい事なのだ。」



「自慢じゃないけど、私学校でいじめに遭った事ないよ」
この言葉を友人があまりに気負わずさらりと口にしたときから、気にするのをやめた筈の古傷が疼く。忘れたはずの連中の名前を一人ひとり思い出す。憎しみがじりじりとせりあがってくる。あの時のストレスがフラッシュバックする。
もう1年以上、この思い出しストレスから逃れられないでいる。
自慢じゃないけど、私学校でいじめに遭った事ないよ


世の中って、

表面上は「いじめをする奴は、カッコ悪い」と言いながら
内心では「いじめられるのは、カッコ悪い」となってるような気も

上記の引用先をよんでふと思ったわけですね。

イジメだけに限らず、ほかのことでも意外と、強者と弱者の関係があるものに関しては

表面上は、強者が悪いと言いながら
実質は、弱者が(も?)悪いという風に流れがちだと思います。

だから、どうしたらよいとかわからないけど・・・。

いじめられなくても、人の恨み買ってるんじゃないかな?

>「自慢じゃないけど、私学校でいじめに遭った事ないよ」

いじめられなくても、人の恨み買ってるんじゃないかな?と僕はおもって、そんな人の話は聞こえなかったことにするけど、

しかし、他者を辱めてしか自己を肯定できない人たちには、そういう手法は採用できないんだろうなぁとは思う。

カッコ悪いのは、イジメられたことでなくて
それを許容した、学校(社会、周りの傍観者たち)でもあろうかと思う。

イジメた人が一番悪いんだけど、それ以外にもダメな人たちがいたってことです。
でも、そのダメな人たちは、直接の加害者でないし、また多数派なので、その自覚ができない、認めないということだと思います。

話を大きくしても意味がないんだけど、
世の中も、あまりよろしくない部分もあるのだろうなぁと思う。

カッコ悪いとしても・・・

まあ、カッコ悪いとしても
1.イジメた人たち
2.傍観者たち
3.世の中
4.いじめに合った人たち

まあ、みんなカッコ悪いということで、その中でも一番マシとかそういうロジックを採用してみるとか?

自身を変えるのが一番早いという話を、原因とか悪いとかにすり替えてはダメ

いじめられる側には必ず原因がある。
いじめる側にも理由はある。
いじめられっ子を闇雲にかばうな。
いじめられっ子は悪い


1.周りを変えるより、自身を変える方が手っ取り早い
2.「原因」と「悪い」は別物

悪いのは、どんな正当で大義があっても、イジメるほうなんですなぁ。

一方的に悪いってこともないことが多いけど
程度を超えて過激になれば、最初のそういう話は吹っ飛ぶぐらい「悪」になるだけかと思う。

通常は、イジメている側がそういう状況になって、「悪」になる。
逆に、イジメられている側が、反撃に出て、やりすぎて病院送りにしたら、一気にイジメられている側が「悪」になる。

イジメというのは、
最初の落ち度や、原因なんかが吹っ飛ぶぐらい
悪いことだってことですよ。

相手に落ち度や原因があっても、そこまでやってはダメでしょうっていう簡単な話。

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