理解されることで、自身の選択を肯定する人は、心理的ストレスがかかりやすく、不幸になりがち

新しく着任したところは残業代も働いた分きちんとつくし、遅くとも夜九時には家につく。
仕事も職場の人にも恵まれて体調もよくなってきた。
しかし転勤した旨親に報告したら雷が落ちた。
「お前は無能だ」
「左遷されたくせに、喜んでるとはなんてやつだ」
「そんな出世街道から落ちるような社会人になるために大学まで行かせたんじゃない」
体調を崩していて辛かったこともつたえていたのにこんなことを言われた。
自分の中で「ああ、この親は自分を苦しめていた団塊の世代である上司と同じような思考回路なんだな」と理解し、
もう親のことを親と思うことはやめようと思った。
ブラック職場から転職したら親に暴言吐かれた

「自身の人生は、自分でしか責任をとれない」というのが正しいと思えるのなら、気にする必要はないかな?と思う。

団塊世代の価値観とか、親の価値観も、関係ある話のようには思えなくはないが、極論、そんなのは関係ないともいえる。

だって、自身の人生の選択の決断は、大人になれば自身ですべきものだから。

逆にいうと、親や上司の言うとおりして、不幸になったとしても、「それを受け入れる選択をしたという決断」をしたという決断をしたという部分があることを忘れずに・・・。

ここで、悪質なパワハラとか虐待もどきとかと同じ次元で考え出すと、おかしくなると思う。

また、年齢にもよるかと思う。

人生の選択で、正しいとか正しくないとかは、分からない

だって、選択しなかった人生の結果は、推測でしかないんだから・・・。

コンサルとか、アドバイザーの言うとおりにして、結果として倒産してしまったら、責任はその経営者にあるのか、コンサルにあるかなんですよ。

人生の選択の選択の決断は、どうすればよいの?

大人になれば、多くの人は、カンでやってると思います。

理解されないことは、普通にあり得る

でもって、理解されることに比重を多くおくと、心理的ストレスがかなりかかる結果になりかねない。

世の中、マトモでない人のほうが強いのは、周りの理解なんて関係ないと思っていたり、自身が正しいと思い込んでるから、結果として心理的ストレスもかからないし、人生の選択も容易にできるので、

理不尽なことだけど、意外と不幸になりにくい。

理解されるということは、評価よりも大事なことだったりはする

探せばあるだろうけど、評価してくれる上司よりも、理解してくれる上司のほうが人気があるとかそういう感じの話。

ここで、評価=理解ではないという点も重要。

しかし、理解されると、評価されているのに近い気分になるのも事実かなと思う。

で上記のようなマトモでない人は、理解は必要としてないというか、評価を獲得することが理解されることとイコールなので、ある一定の状況下では、理不尽にも評価されやすいという傾向にあるかとは思う。

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