風評被害も怖いけど、言論統制も十分怖いとおもうけどなぁ

『美味しんぼ』という漫画の内容に、批判を越えた糾弾と言えるような声を上げる方が多いようです。一部は研究者や医療関係者のようですが、彼らの『科学的』にあり得ないという論を元に一般の方や政治家も糾弾しているようです。
漫画を糾弾する、自称科学的な人たち

タブー視して、報道されない内容について

およそ表現の自由が認められている国では、報道の自由が認められており、少なくとも建前上は報道にタブーなるものは存在しない。日本においても日本国憲法により言論の自由・報道の自由が認められており、見かけ上はタブーは存在しない。しかし、実際には諸事情により、マスメディアが特定の事件や現象について報道を控える話題・問題が存在する。日本ではキー局や全国紙など広範囲に影響を与えるメディアほどその傾向が著しく、こうした姿勢に対する批判も存在する。
しかし日本と欧米を中心とした諸外国では、表現の自由に係る根本的な考え方に大きな違いがある(詳しくは表現の自主規制を参照)。すなわち報道内容に係る責任の帰属が、欧米を中心とした諸外国では表現者であるが、日本ではマスコミであり、日本では訴訟となると、マスコミ側にまず勝ち目はない。従って日本では読者や視聴者、官庁、企業や団体、他国から抗議・圧力を受けたり、訴訟を起こされたり、物理的ないし経済的な損失を被る危険がある話題について、大多数のマスコミは触れたがらないのである。すなわち、タブーの本質はマスコミという組織の中にある。
報道におけるタブー - Wikipedia

たとえば、
この件でなくて、
報道が、「タブー視」して、報道されないとかいうのを指摘してる人もいるけど、

こっちも一緒じゃないのかなぁ。

あっちは、タブー視するのはおかしいが
こっちは、タブー視するのがよいという価値観って

ある意味、言論統制に近い感じが・・・。

ある程度の人が理解している段階と、そうでない段階では同じではない

啓もう活動がある程度すすんで、ある一定数の人が理解?している状況下では、風評、差別などのレッテルを張って排除するのはどの程度意味を持つかなんですね。

正しく理解したら、そんな意見にならないはずという思い込みがあると思います。

中には、正しく理解しても、そういう意見になる人たちもいるんですね。

それはともかく、ある一定数の人が理解し始めた段階で、
風評、差別を助長するから、報道?しないとかいう態度は、
逆に、風評や差別を助長させかねないことも多いということを忘れている気がすると思います。

周りが、バカばかりなので、間違った情報や意見を取り締まらなければならない?!

最終的には、「情報を受け取り側の判断」もある程度は重要視されなければいけないはずなのに、

いや、誤解を招く、間違った理解をする人がいるとかで

そうさせないのは、

各人が考えて、判断するのをダメだと否定してるのに近いと思う。

言論の自由というのは、なんでも言ってよいというだけで支えられているわけでなくて
その言論から、いろいろ考えてもよいという部分にも支えられていると思う。

過去、タブー視で一時的には良くなっても、良くないことの温床になってることもあるとおもうけど・・・

過去のどの事例とか具体的にはあげれないけど、

ちょっと探してみれば、あるよ・・・・。


こうやって、自由に意見を言える状況なんだから、「言論統制」じゃないという反論もあろうとおもうけど、
そういう短絡的な話でなくて、

これは風評、差別表現だといって、抑え込んだり、撤回を要求したりする態度って、行き過ぎれば、そうなるんじゃないの?って話。

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