著作権を守ることばかりを教育して、著作を利用するという文化教育をしないから

どちらかに重点を置きすぎる

・文化活動 = 無断使用はダメだと教育するが、合法的な使用についてはあまり教えない
・経済活動 = 窃盗はダメだと教育するが、合法的な搾取の方法については教えない
・道徳教育 = 周りに迷惑をかけないことばかりを教えて、自身を大切にすることはあまり教えない
・労働 = モラルを持って働く素晴らしさをとくが、権利や不当に搾取されない方法についてはあまり教えない


まあ、教えない、教えたくないという理由もなんとなくわかるんですが、逆にそれが社会にとって良くないこともあろうと思うんですな。

やってもらいたくないことを教育としょうして教える(洗脳する?)のは、悪いことではないと思うんだけど、それはルールを守れと以上の意味がなく、その本来の意味に気づきにくくしていると思う。

権利ばかり主張して、義務を果たさないのと同じく
義務ばかり教育して、権利を教えずに放棄させている


教育するものではないという部分も多分にあるが、作為的に意識的に、気づかせないように仕向けているのなら、それは、教えてない、隠しているのと同じかと思う。まあ、知らないのが悪い、勉強しないのが悪いってことだけど、結局、社会全体にとってよろしくないと思う。

ただ、社会が、一部の権力者、既得権者、利権者、資本階級、恵まれた労働者階級とかをさすのなら、社会全体といいつつ、社会の一部に最適化された方法論だと思う。

まあ、要するに、馬鹿な人(弱者)は無駄に金を使って、搾取されて、社会に貢献してくださいって感じかな…。

消費者をどこまで保護するか?とかと似たような話だと思う。保護しすぎると、儲からない。しかし、ある程度保護しないと、長い目でみると経済が停滞か衰退するかも・・・。

・・・・

「無断引用」という表現はやめよう|Colorless Green Ideas

窃盗とか盗用とかいう言葉を避けてるのは、それをいうと犯罪者みたいに聞こえるから、さけてるとかそういうのもあるとおもうけどなぁ。

あと、無断とかいうのは、ルールにのっとらないでという意味合いが強いと思うけど・・・。

断りなく使用できるものでも、無断使用という状態は存在する。それは使用条件を満たしていないという意味だと思う。

ただ、引用という行為が、ダメな行為だと錯覚されるという現象はあると思うので、その面は認めるが、しかし「無断引用」という言葉を使うべきでないという程度では改善されないかもと思う。

転載と引用の区別をわからせないのは、わざとなんじゃないかな?とはちょっと思うんですね。

画像とかも引用できるわけなんですが、できないと思われたほうがメリットがある人たちがいるからでしょう。たとえば、画像は文章のように切り取りにくいから引用できないと思わせるとかそういうことですね。それは、引用でなくて転載にあたりますみたいな・・

でも、文化という大きな視野でみれば、明らかに損害なのに・・・と思います。ブログとかでもちょっと前まではコミック(漫画)のレビューとかで画像を使いにくい感じだったけど、今はそうでもない感じ・・・。

おそらく、「文化を守るため」というのは名目で、実は違うもの(利権)を守ってるのでは?



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