自殺はいけないが、死者を冒涜をしてはいけないというジレンマ

  • 投稿 : 2014-03-01

なぜ、自殺を美化してはダメなのか?

なぜ、自殺を美化してはダメなのかというと、その影響で自殺する人がでるとか、自殺する人の数が増えるとかそういう社会現象が起こりやすいから、ダメというのがあるようです。実際、そういう現象は容易?に観測できるでしょう。

■自殺報道で注意すべきこと
自殺の具体的方法や手段等を詳細に報じることは控える。
自殺現場を繰り返し映したり、不用意に遺書を公開したりしない。
自殺を美化もしくは正当化するような報道はしない。
自殺した人を責めない。
自殺を単純な因果関係(いじめ自殺、リストラ自殺など)で報道しない。
必要以上にセンセーショナルな報道の仕方をしない。
大きな自殺報道をする際には、自殺予防に関する報道も加える。
歌手藤圭子さん(宇多田ヒカルさんの母親)自殺報道から考える自殺予防(碓井 真史) - 個人 - Yahoo!ニュース

碓井氏のサイトは、以下。かなり前からの自殺報道についての考察?などもある。この方はキリスト教みたいなので、そういうのが気になる人はその分を差し引いて読めばよいかと思う。心理学分野との切り分けは、気になる人はきちんと分けれると思う。

自殺と自殺予防の心理学:自殺防止のための自殺サイト(心理学総合案内こころの散歩道)


これは、報道の在り方であって、個人がどうすべきかとはまた別の話かなとは個人的に思います。


死者を冒涜をしてはいけない

自殺がダメだということにする場合においても、死者を冒涜するという方法でやるのが妥当でないと思います。

ここが意外と難しいと思います。

「故人に思い入れがある人、関係者」と、「単なる他人」では、感じ方も扱い方も違うかと思います。

まあ、簡単にいえば、その人のファンだった人と、なんでもなかった人とでは全然違うということです。

ファンだった人は、故人の気持ちを分かって上げたい、故人を肯定してあげたいということで、ブログなどを書くわけですが、それは美化という言葉で片付けるのはどうかな?と思います。


自己犠牲を称賛して、美化する報道は問題ないの?

たとえば、線路で老人を助けて、自身は不幸にも死んでしまいましたとかそういうケースです。

これは自殺ではないが、死者を冒涜してはいけないというのは適用されるかと思います。

でもって、たいてい、美談に仕立て上げられて、報道されたり、多くの人がほめたたえたりしてますけど、そういうのは問題ないか?という話です。

たぶん、社会にとってメリットがあるかどうか?とか別の基準が採用されている可能性があるかと思います。また、自殺の美化がダメだというのも、結局は、社会にとってどうか?という部分で、やめたほうがよいという考え方が出てきてるのかもしれません。


自殺をする人のすべてを救うことはできない

しかし、一部ならできるかもしれないという路線が、自殺を美化したことをしないという方法論であると思います。


自殺は、なぜいけないのか?よりも

自殺を避けることはできないのか?という考え方を採用したほうがよいかと思う。

なぜいけないのか?ということに納得できれば、自殺しないのか?といわれると、たぶん納得できても自殺という誘惑に引き込まれている状態だと無理だと思うから。そして、たわいないきっかけで実行してしまうかもしれないから。

どうすることもできない絶望を感じてしまうと、特にそういう傾向がありそうな気がします。

絶望の中で、希望を見出すのはかなり無理なことなんだけど、実行を1日伸ばせるのなら、そうしたほうがよいかと思う。この方式でも、いつかは糸がきれるので、そんなに長くは使える方法ではないとは思います。

難しいけど、すべてを捨てる前に、9割捨てれば、不幸でも生きていけるのなら、そうしてみるのも悪くはないとは思う。


・・・・

自殺したメンヘラ神が書いていたはてなブログについて - 人生夢オチ
話題になった自殺を取り上げる際に読んでおきたいWHOの手引き - 斗比主閲子の姑日記

はてなブログの人は、僕から見ると、(はてな村での)政治的意図とか複雑なものがあって書いてたりするみたいなので、文章を素直に読めないとは僕は思う。
スポンサーリンク