愛情は、「エゴのぶつけ合い」という一面もある

なぜなら、相手によって性格を変える癖がついていて、素の自分が分からないからだ。
本当に分からない。1人で居る時の自分も居れば、Aという人と居る時の自分も居るし、Bの時はBに最適な自分が居る。
その状態で信頼し合うなんて出来るわけもない。欲望のままに突き進んだ結果、僕は今とても困っている。
本来もっと磨く必要のある心を後回しにして、蔑ろにしてしまった結果だ。


いや、わざわざ書かなくても大体の人は分かっている事は理解してる。
でも少数の分かってない人へ、あえて書いておきたい。
別に説教とかそういう訳じゃなくて、同じ轍を踏んで欲しくないというか、そんな感じだ。
僕は本当に後悔している。
http://anond.hatelabo.jp/20140213033614

愛情は、エゴのぶつけ合いだけど、

「それだけではダメだ」



「それはダメ」

とでは、全然違うということに、気づかない人がたまにいて

大きな勘違いをして、悟ってしまうことがある。

気を付けよう

変な悟り方をする人は、極端から極端に走る人が多いと思う。

修行僧になって、心?を磨いたほうがよいか?といえば、

普通の幸せを手に入れたいのなら、そんなことはよしたほうがよいでしょう。

人から説教めいたものをうけて、感銘を受けた場合は、そんなのはたいていはゴミなので、忘れ去ったほうがい。


あと、悟って、
明日から、真人間になるって言う人が、真人間になれたという話は、ほとんどない。

そもそも、真人間というもの自体が、都市伝説のだぐいでは?

心を入れ替えて、善人になろうという人の多いパターン

たとえば、悪人が、善人になろうとすると、すべての「悪」を排除しようとするんですが、それがダメなことが多い。

排除するが簡単なのは、「小悪」なので、そういうのはすぐに排除できるんだけど、結局、本質の「大悪」が排除できないので、悪人のままというか、まえよりももっとひどい状態になる。

今まで悪人風だったのが、善人風にみえる悪人に代わってるだけ。もしかしなくても、前よりもたちがわるい。

しかし、「大悪」を少し直せば、善人にはなれないけど、ごく普通の範囲に収まる程度の人にはなるかもしれないのに・・・。

悪を欲望とかに置き換えても、成り立つとおもうけど。


他人から見るとエゴ(欲望)だけど、当人同士では「愛」にみえる

それが、他人とそうでない人との違いかも。

結婚前に、体の相性を確認したほうがよいとかいう価値観もドライだけど、それなりに支持されているのをみれば、「人格をみる」「信頼する」とかだけじゃない話だというのが、すぐにわかる気がするが・・・。

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