良い人を演じると鬱になるし、性格もゆがむ

自分は物凄く精神的なダメージを負いやすく、自分が悪いと思うと数週間ほど立ち直れないくらい落ち込み、忘れた頃になってもふとしたきっかけでトラウマがフラッシュバックしてうわああああ、ってなる。


でもなあ、距離をとろうとも仕事の関係上ずっと付き合わなきゃいけないことが多いし、下手に出ると調子に乗ってでかい態度に出てきて自分に有利に進めようとする奴も少なくないから、あまり良い方法とはいえない。

そんな付け焼刃の対人方法を身につけたとしても根本的な生来の性格が変わらなきゃどこかできっと破綻がくる。言ってることや性格に統一性が無いと人からは信用されなくなる。そうするとやっぱり俺はずっとダメージを負い続ける人生なのか?

最終的には毒親のせいにして、俺は悪くない、この性格はあの毒親から押し付けられたものだ、と考えていた時期もあった。ただ結果は怒りで視野が狭くなり幸せを見逃していただけ。毒親のせいだったとしても、最終的には自分で解決しなければいけないのだ。
自分が悪いと考えると鬱になるし自分が悪くないと考えると性格が歪む

整合性(統一感)という考え方を修正すべき

鬱になりやすい性格の一つに、整合性を非常に気にするという部分が多いんですね。
行動、発言、感情とかすべてのものに・・・。

>言ってることや性格に統一性が無いと人からは信用されなくなる

実際には、そういうことはない。

多くの人は、人によって臨機応変に、態度を変えてるんですね。
それを、誰に対しても同じ態度をとるようにしようとすると、破たんしやすいわけです。

ただ、人によって態度を変えてるけど、ある一定の規則や法則があるように態度を変えてるので、信頼してほしい人には信頼されて、そうでない人からは信頼されないという状態になるだけです。

別に信頼も、仕事なら仕事上だけ信頼されればよいので、人間として信頼してもらう必要は全然ないと思う。

「立場が弱い」のが悪い

立場が弱いから、矛盾を背負わせられる立場になりやすいということ。

毒親?が性格が悪くて破たんしてても、本人はそんなに苦しまないし、社会生活も全然普通にできるのをみればわかるかと思う。

要は、矛盾を弱い人に押し付けてしまえば、自身は、全然平気

人に、矛盾を押し付けられる人たちは、別に、性格が悪くても、周りが悪いと考えても、全然、生きていくうえで支障がないんです。犯罪にならない程度に、矛盾を押し付けて知らんふりしてればよいんです。まあ、まだそういう認識がある人はマシなほうで、多くの人は無意識にそうしてますよ。

立場が弱くて、マトモな人は苦しみやすい

マトモな人は、行動が制限されるし、また、マトモであろうと努力しがちなので、なんか精神的に消耗しやすいんですね。

立場が弱くて、マトモでない人は、より立場の弱い人に矛盾を押し付ければよいので、全然平気


立場の弱い人に、矛盾を押し付けてない人なんて、いないんじゃないかな?

ブラック企業より質の悪いホワイト企業に就職したほうが良い理由

たとえば、ホワイト企業に勤めている人たちが、人間性が良い傾向にあるのは、環境が恵まれていて、ある意味立場が強いので矛盾をあまり背負わなくてもよいという現実があろうかと思います。

そして、自分たちは「人間性がよい」と思い込んでいるので、矛盾を下請けや外注に押し付けてるだけとかは、なかなか思えないだけなんですね。

でも、ちゃんとみれば、立場の弱い人に、矛盾を押し付けてるんです。

性格は変えることはできるが、変更できる範囲というものが存在する

やっぱりあれか、ひろゆき的なやり方しかないか。ヘラヘラ笑いながら平静を装い、「いやー僕バカなんでw」と下手に出つつ言いたい事をハッキリ言って、相手がダメージを受けそうな言葉を笑いながら織り交ぜて相手の出鼻をくじきつつ、最終的には自分のペースにもっていく。たまに「さすがですねえ」とか「いやーやっぱりできる人は違うなあ」と相手を褒めるとなお効果的。
日本でディベートに強い人や、言葉の解釈が上手くて自尊心を保てる人間は大抵こういう人ばっかり。ただこういうのは場数を踏まないと習得できないし、反射神経と知識が必要になってくる。
自分が悪いと考えると鬱になるし自分が悪くないと考えると性格が歪む

「自分が悪くないと考えると性格が歪む」とか考える傾向にある人は、絶対に真似できない路線だと思う。
あと、そういう人は、周りからどう思われてるのか?本当にわかってるのかな?と思う。

評価する人や好意的に見る人が多いかもしれないけど、そうでない人たちもそれなりにいると思うけど。

つまり、ゲーム感覚でできる人と、これはゲームではないと思うあなた?では違うということ。

恋愛とかでも、ゲーム感覚な人と純愛とか考えている人とでは、全然違う。

仕事ができるというのも一つの権力

コミュ力が微妙な技術力のある技術者なんかをみれば、よくわかると思う。

仕事ができる、技術力があるというところは信頼されていると思うけど、別に人間とて好きかとか、信頼できるか?とは全然関係ないと思う。

>似たような友人を見たことがあるが、絶対に自分が悪いということを認めずに大勢の人に迷惑をかけてどんどん独りよがりな性格に歪んでいき、
>孤立していった。

立場の弱い人だから・・、何の権力もないから、そういう態度が許されないだけ。

絶対に自分が悪いと認めず、周りの人の反感を買いながら、おまけに独りよがりな性格であっても、存在しているビジネスマンは結構たくさんいる。

ビジネスは、性格の良さを競うゲームではないんだから。

トラウマのフラッシュバックは苦しい

自身が悪い、悪くないは別にしても、この手のフラッシュバックはかなり苦しいものなので、それを回避しないと、精神的につらずぎるんじゃないかな?と思う。

マトモな人や良い人を演じるのを、少しぐらいやめてもいいんじゃないかな?と思う。

周りが、マトモそうにみえたり、良い人にみえるのは、周りの人たちが恵まれていて、心に余裕があるからという部分が大きいと思います。

だから、非常事態に追い込んだり、心の余裕を奪ったりしたら、99%の人が豹変します。デスマーチぐらいでも、そういう現象は普通に見ることができます。

まあ、恵まれていて心に余裕があるのに、マトモで良い人でない人たちよりもずーっとマシなのは確かなので、そもそもそんなことを気にする必要もないと思う。

つまりですね、あなたが「よい人を演じられない」のは、周りが悪いんです。99%周りが悪いです。



非常時ににおいて、人道的な態度をとる人が称賛されるのは、そういう人が貴重だからです。
ゴロゴロ転がっているものは、称賛されません。

自己犠牲の美談と似たようなもの。

スポンサーリンク

『良い人を演じると鬱になるし、性格もゆがむ』へのコメント

  1. 名前:匿名 : 投稿日:2013/12/29 02:34

    元増田です。文章を読んで合点がいきました。「やはりそうか」と思いました。
    というより、今まで心の隅でなんとなく気づいてはいたものの、その事実を受け入れるのに抵抗があり、無意識に無視してきたんだと思います。体育会系の縦社会というものを。

    自分は学生時代運動部に所属していた経験はあるものの(しかもかなりスパルタな)、体育会系という社会に反りが合いませんでした。後輩に厳しく接することが出来ず、時に先輩に楯突くこともありました。先輩後輩という身の振り方をあまり学ばずにここまできてしまったんだと思います。
    家族内でも末っ子で一番立場が弱く、家族からのペット的な扱いに我慢と感情の押し殺ししか為す術がなく、結果的に孤立していた事が多かったので、上の人間に可愛がられる所作とその感情の落とし所(より下の立場の人間に吐き出す)を体得出来なかったのかな、と思います。

    仕事でも元請け、下請けの立場どちらも経験したことがありますが、上司や同僚達のように下請けに非情になれないところがありました。

    経験上立場の弱い人間に感情移入してしまうところがあり、下請けの苦労を減らすことに注力し、それが人として正しい、と思っていました。

    弱きを助け強きを挫く、その正義感が無意識に感情の拠り所になっていたのかな、と。
    今思えば戦隊ヒーローを信じる幼児レベルの正義感であり、上司にしてみれば余計な事に注力する扱いづらい部下だったのかな、と。

    感情の落とし所をより弱い者に見据えた身の振り方は私にとってなかなか難しい。幼い頃からの思考回路に関わることで、自分を形作ってきた価値観の一部だから。しかし「感情を楽にする」という視点で自覚的に動けば何らかの答えはあるはず・・。今回この記事でそう思わせられました。

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。