「周りの人間がバカに見えるという病」への対応のしかた

それに自分以外がバカに見えるというのは自分の視野が狭くてバカだからだというのもよくいわれるところでわかってはいる。
ネットでのうわべのやりとりだけで相手をバカだと思ってはいけない。相手をある種のラベルによって決めつけその限界を決めてしまうというのは相手を殺すことと同じだ。
というか、そもそも誰かを見下すというのはいいこととはいえない。
自分以外の人間がバカに見えるという病にかかってしまった

「周りの人間を馬鹿に見える」というと、幼いとか程度が低いとか言い出す人たちがいるんだけど、実際に、周りの人間がバカだということもあることは考慮されていないと思う。

この問題は、「本当に周りがバカなのか、そうでないか?」の問題ではないと思うほうが、より現実的な解決策が見つかると思う。

まあ、どんなに優秀な人間でも、愚かなところは必ず存在するので、そういう性質を利用するのも一つの方法だと思う。

要は、周りと、自分自身とでは、愚かさ(バカ)の方向性が違うと考えることです。

趣味趣向が違うというのと似てると思えばよいのです。


周りがバカだと思うことで、支障がある部分だけに着目する

発言することで、人間性を疑われる ->発言を控える

とかいう感じで、対症療法的な方法を行えばよいだけで、根本から治そうとか思わないほうが、実は治しやすい。

これ、心の病系も似たような治療方法が採用されている。

まず、治療対象かどうかも、実生活に支障があるかという観点が重要視される。また、不安が感じるなら、抗不安薬、眠れないのなら、睡眠薬という風に、本当に対症療法てきなんです(実際には、違うけど、観念的にはそう)。

実際周りを馬鹿にしている高慢ちきな野郎でも、能力や才能に恵まれたり、その他の状況次第で、ぜんぜん生きる上での支障にならない人たちもたくさんいる。能力や才能と書くと、その人は優秀だから、周りがバカに見えるのはホントウだから支障がないと理解する人もいるだろうが、それは勘違いです。別に、能力や才能でなくても、金や権力に恵まれていても同じなんだから。

純粋・潔癖・完璧・聖人

そういう感じの思想は、理想を持つのにはいいけど、生きていくのには不便なものなので、そのあたりは区別したほうがよいと思う。

周りの人間がバカというのが問題なら

(一部の)周りの人間がバカとか
(私が見る範囲の)周りの人間はバカとか

範囲を限定していけば、良いだけなんだから。

別に、範囲を限定してもしなくても、言ってることは99%変わらないはずなのに、その1%の差で、かなりの部分許容される。

主語(対象)を小さくするだけでも、自身の考えもかなり(精神的に)改善されると思う。



精神的に、高等な人間になろうと思わないこと

精神的に、潔癖な人は、心労がたえないので、もっといい加減になったほうがよいと思う。

もともと潔癖なんで、少々いい加減になっても、それでもかなり潔癖なほうだと思うので、周りから見るとそう変わっては見えない。

完璧主義な人や、理想主義的な人が、結果が出にくいのと似たようなもので、精神的に潔癖な人も、生きる上での成果というのが出にくいので、なぜかそのこと自体が悪いような気がするだけです。

ちょっと、自身の思想に逆らわない方向で制御できれば、結構、結果が出てきたりはします。

完璧主義で結果が出なくて、どうしたらよいか悩んでる方へ

・・・

中高生が大人をみて、バカだと思うことに関しても同じなんです。単に大人たちは、自身の選択を馬鹿だとは認めたくないから、論理武装して、バカではないと思ってるだけかもしれないってこと。

大人になると、愚かな結果を導き出した選択なのに、ほかに良い選択がなかったとか、そういう理由で、愚かな結果を出してるのに、バカではないと思い出すだけかも。

他に良い選択を作り出さなかったという「愚かさ」は、考えたくないんです。

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