「過剰な批判は逆効果」という嘘で、現状維持する方法もある

「過剰な批判は逆効果」という嘘

「過剰な批判は逆効果」ということについて - The cape of an island

適切な批判の場合は、声が小さすぎて、黙殺されてしまうことのほうが現実問題多いでしょう。炎上しない、騒ぎが起こらない中で、対策しなければいけない問題だと認識できる人は、ほぼいないんですから・・・。

現状維持といえば、聞こえがよいが、何もしない、何も変更しないという感じで、問題はそもそもなかったものと扱うという路線もあるということなんですね。

良識のある人の冷静で論理的な意見というのは、なんかすごくよさそうに思うけど、実際はそうでもないことが多いと思う。

治安を維持する、現状を維持するというのには有効でも
世の中を変更していくという方向には、逆効果になりがちである。

分析には向いてるけど、実行には向かないとかそういうかんじかも。

あと、感情に訴える手段が有効なのは、明らかでしょう。論理が、共感できるというのでさえも感情なんだから。


「手段が不適切な抗議は逆効果」というのも、似たようなもの。
手段が適切に行うと、抗議がしにくいようになっている現状というのを、あえて知らないふりしてるか、無知なのかどうかはしらないけど。

そもそも適切な手段な抗議が有効な場合は、不適切な手段を採用したりする必要性もあまりなく、そもそも抗議自体することもなく、現状を変えていける可能性のほうが高い。

なぜ、「変化」を促すときは、過剰に感じてしまうのか?

・問題として認識していない
・問題があると思うが、改善にはコストがかかる
・問題を解決することでの、自身のメリットが感じられない
・自身に痛みを感じていない
・問題を解決することで、逆に自身が痛みを感じる側になるかもしれない

「セクハラ」が問題となった時に
これはセクハラではないとか、スキンシップでさえもセクハラなら、社内のムードが逆に悪くなるとか・・

等言う論理などで、やりすぎだろう?みたいな路線で牽制していて、結構多くの人が賛同してたけど、
今現在では、「女子社員の肩に触れることさえ、ダメ」というのが主流のはずです。企業でも管理者を集めた教育でもそう教育されてるでしょう。

「いじめ」が問題となった時は、
本人にも非があるのではないか?とか、そもそもその程度は「いじめ」ではない。その程度が「いじめ」なら、社会に出て困るとかいろいろ言われたけど
今現在では、こんなことでも警察が出てくるようになったんだというのが、主流になりつつあるでしょう

「体罰」が問題となった時は、
そもそも、指導と体罰は別だとか、愛情がある行為は体罰とはそもそもしえないとか、なんかいろいろそれらしい意見もあったけど、
今現在では、体罰=暴力、指導でさえも行き過ぎれば暴力という風になりつつあるんじゃないだろうか?

「男女差別」が問題となった時は、
女子パート募集と性別かけないのは、非常に非経済的だとか、・・・・。
もっと昔の場合だと、女性にお茶くみさせないとかそういうのとかでも、・・・・。

こういう感じで、なぜか問題が改善される時には、「過剰な批判」があって、それがないと逆に改善されないということが多いわけです。

何を批判というかは、その時がどちらが主流か、現状か?が観点で、変化を促す側のほうが「批判」なわけです。

でもって、いったん変化しだすと、なんか今まで反対していた人たちは、あまり声を上げなくなるんですね。
それは変化しても、実際には自身にデメリットなんてあまりないので・・・・。

多くの人は、現状を変えたいとは思ってないけど、とりあえず不愉快な気持ちを表現する

なんか、あの表紙は、xxx学会とかではありえないかんじだよね?
女性蔑視的というか、正直、キモイ感じがするね

みたいな感じ。まあ、僕はそういう風に感じたわけだけど、それをそのまま「批判」として表明するのは問題があるのは認識してるけど、たわいのない日常会話で、仲間内なら許される範囲にあるかと思う。

逆に、そういうのがまずいなと思う人たちは、逆に正論という論理武装をしだすので、ますます、問題が、本来の問題よりも大きく感じるようになるが常だと思う。


なんか、いま?話題になってる?人工知能学会とか女性差別とか?どうせ4日後ぐらいに皆どうでも良くなってるようなことに、Twitterとかで沢山の人が不必要に反応しててオジサン悲しい
anond.hatelabo.jp/20131228010300

いろんな人の意見を聞くことは、実は自身に混乱をもたらすだけで、英知?につながらないこともある

結局、自身の都合の良い論理しか、なじまないだろうし
また、都合のいいようにしか解釈できないことが多いんだから。

批判の方法が不当だという部分だけ採用とか、そういうのを批判自体が不当とか言う風にすり替えるとか、まあ、いろいろなんじゃないかな。

あと思考している(考えている)とおもってるだけで、
実際には、あらたな思考をしてるわけでなくて、結論が決まったうえでの考察だったり、過去の自身の考えをトレースしなおしてるだけということが多々ある。

要は、自動応答みたいな感じ。


人工知能学会誌の表紙を通して、批判と攻撃との差をみる
人工知能学会誌の表紙が女性差別であるはずがない
ほうきを持って部屋掃除をしている自分に誇りを持っている
フェミはつまり、オタクが「自分の思い通りにはならない存在で気にいらない」わけだ
暇だから人工知能について垂れ流してみる
人工知能学会のロボットがなんで女なの論争に寄せて
http://anond.hatelabo.jp/20131227102102
http://anond.hatelabo.jp/20131227102102
人工知能学会表紙批判への反論、を片っ端から論破していく
なんでロボットに性別つけるんですか!

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