「子供を産む女性」は「社会に役に立つ」ので、優遇すべきという論理の危険性

現状、女性問題イコール母親問題(そして女叩きをする男からはまとめて叩かれる)として語られているのに物凄く違和感を覚えます。
男女の賃金格差などについて語られる際も、女は子供を産むとやめなければならないとか働きづらいとかの母親限定の話題ばかりで、女性全体に共通する問題について語られるのを殆ど聞きません。


「女性の社会進出」が何故、母親が働く事に限られているのか、凄く疑問です。子供のいない女性だって女性ゆえの不利益を受けているのに…。しかもそれを愚痴っただけで「女の敵は女」「同じ女なのに」「嫉妬、僻みだろ」と叩かれる。子持ち女性が独身女性を叩いても何も言わないくせに、です。
「女性が働きやすい」イコール「母親が働きやすい」なのに違和感

優遇か、保護か、そもそも当然なのかはそんな細かい話は、このエントリーでは関係ないです。

役に立つ、立たないで優遇される危険性

役に立つから優遇されるという路線は、実は危険なんですね。

子供が増えることは社会に役に立つから、優遇してでも援助すべきという論理があるのは悪くないのですが、これ「役に立つ」という部分があるからであって、それ以上でもそれ以下でもないわけです。

じゃぁ、会社にとっては、役に立たない存在だったら?って話ですよね。そりゃぁ排除される方向に向かうのは自然な流れだと思います。

それは、「役に立つ」「役に立たない」というものに根差したものだからです。

周りが困るのは、援助されないの?

妊娠した女性が職場にいると、周りが迷惑するというのは事実でしょう。迷惑するというのが表現として問題があるのなら、困った状況に追い込まれるということです。

もちろん妊娠した女性も困っているでしょう?

妊娠した女性を救うべきというのはOKで、その周りの困った人たちは救うべきではないんでしょうか?

もちろん、会社が経営者が悪いといえばそれまでですが、本当にそうでしょうか?

役に立つから援助であって、弱者や困った人を援助しましょうという路線でないので、当然、周りの困った人なんて、人間的に問題がある人たちってことで片づけたいだけなのでは?と考えることもできます。

社会に役に立つという基準なら、その援助の負担は社会がすべきでは?

会社やその周りの個人に、負担を強いてるのだとすれば、それは社会が負担してるといえるのでしょうか?

もちろん社会がそこまで援助できないとなれば、援助できる範囲に逆に抑えるべきであると考えることもできます。

いやいや、社会というのは、構成員、個人個人のことだから

そんなの詭弁です。

特定の個人、特定の会社?などに、負担を強いるのなら、それは社会と言えるのか?ということと、社会が負担というのは多くの場合は税金によるものだと考えるべきだと思う。

会社として頑張るという意味が、従業員がそれぞれ我慢すればよいという意味合いがおかしいと感じる&会社が負担すべき費用だと感じるのなら、会社が社会に変えても同じでは?

私、少子化対策に協力してるし、社会に貢献してる

別にそういう意識でも問題ないとおもうけど、最近そういう人たちが多そうな感じだなと思う。

そこまでならまあって感じですが、その延長線上に、それなのに社会や周りの態度はひどすぎるとかそういう思考形態ですね。

別に、子供を産まなくても、社会に貢献してますよ。だって社会の構成員なんだから。また、貢献してるかどうかに関係なく、ひどい話はひどいはず。

風邪(病気)で周りに迷惑かけるのと、妊娠で周りに迷惑をかけるのとはどう違うのか?

妊娠は病気でないとか、風邪は自己管理できなないという意味でその人にも責任があるとかは、結果ありきで組み立てられた論理に過ぎないと思う。

そこまでは言い過ぎなら、ある価値観に基づいての論理。

どっちも、迷惑かどうかは別にして、周りは困りますよね。本当は違いなんてないわけで・・・。

風邪とかにしたけど、持病とかでもいいですけどね。

働く理由にも、働かないと生活できない、生活レベルを維持できない、キャリアが維持できない、自分のためなどのいろんな理由があると思います。

それは持病を持った人だって同じですけど、持病の程度では、働かないで休養しろみたいな感じに流されがちですけどね。

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