「子供がかわいそう」という論理を使って、自己の論理を正当化する醜悪さ

「そうそう。悪循環なんだよね。子供たちの面倒はしっかり見てるからあの子が言うようなことなんてないんだけど、お母さんにはそのまま言えないからさ。ちょっとあったことを大きく言ってるみたいです、としか言えなくて。お母さんも子供が心配だからクレーマーみたいなことになっちゃってるんだろうし」
「本当に悪循環だね。どこかで正直に言わないとどうにもならないだろうけど、クレーマーって言う位だとそれを聞いてくれそうな雰囲気じゃないってことでしょ」
「そうなんだよね。せめてお母さんがもっと子供のこと見てくれるようになればいいんだけど」
友人は軽くため息を付いた。そして続ける。
「保育園に来て色々びっくりしたことはあるんだけどさ、保育園って愛情不足の子供が多いのよ。お父さんお母さんが働いてて家にいなくて、その間ずっと保育園に預けられてて、親子のコミュニケーションの時間が足りない感じ。丸々半日預けられてる子もいるんだよ」


ここから一つ分かることがある。女性は一度退職すると再就労できない、という問題は嘘だった。
女性が再就労できないのであれば、グラフは40代から就労人口が増えるM字型ではなく、結婚する20台をピークに右肩下がりする山形グラフになるはずだからだ。
そもそも一体何が女性を家庭における子育てから引き剥がし、賃金労働に縛り付けようとしたのか?
子育ては片手間で出来るほど甘いモノなのか?
女性の増田にはもちろん、男性の増田にもぜひ考えていただきたい問題である。

参考:M字型曲線
http://danjo.city.kashiwa.lg.jp/gakushuu/gender_terms/terms/mcurve.htm

子供に嘘をつかせる社会

「子供がかわいそう」とかいう感じの話を使いだすのは、子供が嘘をつくよりも、かなり問題ある感じ(^^;

昔から、そういう話はよくあるし、まあ、感情移入しやすく、愛情深い人間になったつもりになれるので、人気が高い部類かも。

働かないと生活できないというのならわかるが、そうでないのに働く必要あるの?みたいな論理ですなぁ。

まあ、引用先は、考えてみるべきでは?という疑問形の形にはなってるけど、反語表現で明らかに、間違ってるよね?という感じに僕は読み取れるので。


保育所に預けられた子どもは可哀そうか?



つい先月のことですが、『保育の質と子どもの発達 アメリカ国立小児保健・人間発達研究所の長期追跡研究から』という本が出版されました。


 この研究結果で明らかになった最も重要なことは、「母親による養育でもそれ以外の人による保育でも子どもの発達にはほとんど差がなかった」ということです。つまり、お母さんからの養育だけを受けている子どもと、お母さん以外の人からの保育を受けている子どもを比べても、どちらかが発達が良い、あるいは悪いということは示されなかったということです。この研究結果がわが国にも応用されるとするならば、苦しい思いをしながら、わが子を保育所に預けるお母さんの気持ちが少しでも和らぐでしょうか。
保育所に預けられた子どもは可哀そうか? « 国際文化学科

別に研究(調査)結果が、何かを肯定することはないけど、思い込みかもしれないということには気づかせてくれるかと思う。


4歳半までの結果では、母親以外からの質の高い保育を受けている子どもは、質の低い保育を受けている子どもよりも、言語と知的発達の面でやや良好な発達を示しており、また3歳までの結果では、質の高い保育を受けた子どもたちのほうが、協調性が高いことが示されました。ここで言う質の高い保育とは、ひとりの大人がケアをする子どもの人数が少なく、クラスの人数が少なく、保育者の教育歴が高いという保育の構造に関する部分と、保育者が子どもに対して元気で明るく接し、子どもの行動に対して敏感で、子どもの興味とやる気を励ますようなポジティブな養育をしているかという保育のプロセスに関する部分であると述べられています。このように、NICHDの研究では、保育の質を査定する試みもなされていたのです。
保育所に預けられた子どもは可哀そうか? « 国際文化学科

逆に、母親以外からの質の高い保育を受けている子どもは、そうでない子供よりも、協調性が高いという結果もでているようです。


親がクレーマーなのか?

これ、簡単な話で、客がクレーマーなのか?それとも、客との信頼関係をうまく築けていないのか?の問題かもしれず、子供が嘘をつくこととは本当はあまり関係ないのかも。

僕もクレーマーといわれそうだが、保育士として未熟な可能性もある

友人は保育士の10年選手だ。働き始めてから9年間は幼稚園に勤め、今年から保育園に転職した。仕事の話を聞くと、子供の世話を見ることよりも保護者への対応のほうが大変なんだと感じさせられる。今回もきっとそんな話だろう。
保育所に預けられた子どもは可哀そうか? « 国際文化学科

たぶん、そういう風にはとらえてほしくなくて、10年選手となっているが、保育園での経験は1年ですよね。でもって、幼稚園と保育所では性質も年齢も違うことはあきらか。引用先も、愛情が不足しているように見える子供が多いことを指摘してる点であきらか。

だから、対応が未熟だという可能性もあるわけです。

論理なんか関係なくて、誰かのために何かを犠牲にすることを要求するのは、間違ってると思う

子供ために犠牲になるのを嫌がるのは、母親ではないとかいう反論も可能でしょう。

別に自身がそう考えて行動するのは問題ないとおもうけど、他人のことをあれこれ言うのはまちがってると思う。

これ、子供のためといえば、現代でもある程度は賛同を得られるけど、「家のため」とかいえば、もう無理でしょう。

昔は、「家のために」というのも同じ扱いだったわけです。

で、そういうのに従えない人は、自分勝手でわがままというレッテルをはって、言うことを聞かせようとしただけのような…。

または、自分たちは、そういう人間でなくて、常識人だという自負?みたいなものを持ったりするんでしょう。

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『「子供がかわいそう」という論理を使って、自己の論理を正当化する醜悪さ』へのコメント

  1. 名前:moegi kumada : 投稿日:2013/12/01 17:17

    つい友人のニュースリンクをたどって来てしまいました。
    今、2才の子がいて自宅保育・自宅勤務です。(仕事時間はまちまちです。)
    難しい問題ですが、ブログに同感です。

    自分自身は悩んだ結果自分の手元に子どもを置きましたが、それが正しかったのかは20年経たないとわからないだろうな、と思っています。

  2. 名前:ねこ : 投稿日:2017/06/07 12:14

    子供が可哀想という人や言葉は、自分が裁きたい相手を正しい立場で責められるため使う卑怯さがあると思います。弱い立場であるしかも相手にとって大きな影響力のある子供を盾に、だしにしているように感じてとても嫌悪感があります。
    こういう言葉を言われた、聞いた子供は自分が可哀想な存在なんだとされてしまう上メリットが全くないという…。
    そして、こんな親で子供が可哀想という言葉は最上級に酷いこと言ってるなと思います。
    こんな親と言われて子供が喜ぶわけないし理解されたと救われる訳もない、「こんな親」と親を非難されて「こんな親」の子供である自分は…と感じる、そんな言葉なんだと私は思ってます。。
    だから嫌な言葉だなと目にする耳にする度に嫌な気分になります。

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