役にも立たないのに、あの人は、なぜ生きてるのだろうか?

国立安楽死センターみたいな施設を作るべきだ。そうすれば、新小岩駅が悲惨なことにもならないし、肉の塊や糞尿などを処理する必要も無いし、飛び降り自殺や有毒ガスによる自殺の二次被害も出ない。鉄道のダイヤが乱れることも無いし遺族に過大な請求が行くこともないだろう。
死ぬことは罪なのか?ツライのに人生を続けることを強いられる必要はあるのだろうか。
僕は死にたいし人に迷惑をかけずに安楽死する手段を望む。
死にたい人間を安らかに死なせる社会になればいい


光の面ももしかしてあるのかもしれないが、闇の部分がより濃く出てきそうな気がする。

役に立たないものは、生きる価値がない -> 死ぬべし

子殺し、姨捨山を、きれいな形にしたものかもしれない。

(現代においては)倫理的には許されないので、なるべくグレーゾーンにいる「役に立たない」人たちには、早々に死んでもらいましょうという発想かもしれない。

ここで、倫理的な負担を軽くするために、

・余命少ないのに、苦しむのはかわいそう
・無理に、薬と機械によって生かされてるなんてかわいそう
・最後は、生まれ育った家で、死を迎えたいはずだ
・自殺未遂をするほど苦しんでるのに、生きることを強制できるのか?

という風なストーリを作るんですね。

で、別にそのストーリに乗ってるかどうかなんて関係なく

・医療費、介護費などがかかる
・社会に役に立たない

とかそういう人たちから、社会から合法?的に排除していきましょうという路線になりかねないかも。



役に立つ、立たない論

「自殺をすると、周りに迷惑がかかる」と発想自体が、役に立つ・立たない論の延長線上にあるのかもしれないということ。

なに、被害妄想的な、陰謀説的な発想をしてるんだという批判もあるかもしれないが、
過去の歴史をみれば、そういうこともありえるとは思う。

「能力ある人が評価されない」給料体系を何とかすべきだという名目で、人件費削減に成功してきたんですから

・年功序列 ->長く働いてるだけで、給料が高いのはおかしい
・能力主義 ->でも能力あっても成果を出してない人にも払われてるのはおかしい
・成果主義 ->成果だけに依存するのは、個人プレーを誘発するし、正当に評価されない人たちが多く出てくる
・責務主義

こういう感じ。本来の(隠れた)目的の、人件費の削減にはどの方法も成功しているというのは、ある意味素晴らしい(^^;

もともと、そんなに不公平だったの?
長く働く=経験に対する効率化は評価されない?

国立安楽死センターが、素晴らしい文化の象徴となる社会も当然ある

しかし、それは余力がある社会でしか、あり得ないと思う。
豊かすぎる社会でしか、あり得ないと思う。

税金が、消費税が、借金が、年金がとかそういう一見豊かなんだけど、借金まみれっぽい社会においては、文化の象徴的なものにはなり得ないでしょう。

安らかに死ねる、誰にも迷惑が掛からない、そういう施設やシステムがほしい

まあ、こういう要望がが出てくるのは、確かに高度にシステム化された社会だからとは思う。

正論と国立安楽死センターは似てると思う

ネット界隈をみれば、正論がどういう風に使われているのかをみれば、わかるかと思う。
誰かを助けるために使われていなくて、何かを排除するために、使われていると思う。

誰かを助けるための道具というのは、容易に何かを排除することにもつかえるということ。

それは武器だって同じです。

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