悪口・愚痴というコミュニケーションの使いこなし方

でもそれを誰かと共有したいなんて微塵も思わないし
如何せんその悪口言ってる自分の姿が醜く思えて仕方ないし
なにより悪口って生産性なさすぎてすんごい時間の無駄だと思ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20131014022108

生産性を持ち出す時点で、もうそれは「コミュニケーション」ではない可能性があるかと思います。

別に悪口はコミュニケーションは必須ではなくて、ほとんど使わない人でも、話題の中心になっている人たちも当然います。

愚痴とかでも同じように、生産性がなさすぎて、時間の無駄だとかいう人たちも当然います。

そういう人たちは、コミュニケーションは時間の無駄を重ねることで、積み上げるものだという概念が少ないのではないでしょうか?

悪口や愚痴を言わない人でも、コミュニケーションを大事にする人たちは、時間の無駄を積み重ねているので、そういうのをよく観察するのが良いかと思います。

・悪口は、コミュニケーションツールだが、必須ではない
・付き合うのが無駄という思いのほうが、コミュニケーションを阻害している可能性はある


そもそも、同じ発言を、悪口、愚痴だというとらえる人たちと、本音ととられる人たちでは、感じ方が違うんですよ。本音大会であって、悪口・愚痴大会ではないの可能性があるわけです。

しかし、こういうのも一定のルールみたいなのがあって、「どこまで言ってもよいのか?」というさじ加減をできない人は、この手のコミュニケーションツールを使うべきではないかも。そういう人には、使いこなせないコミュニケーションツールなんですよ。


正しさは、コミュニケーションには関係ない

「絶対悪口とかに入ってこなかったり
人のこと悪いように言わないような女いるじゃん?
ニコニコしながらそんなことないよ〜っとか言っちゃって。
本当は自分もそう思ってるくせに善人ぶっててムカつくよね」
http://anond.hatelabo.jp/20131014022108

通常は、該当する人がその場にいる場合は、そういうことは言わない傾向にはあると思う。

ここで、その場にいない人の悪口をいうのは、卑怯だとか言い出す人たちもいるが、確かに「正しい」けど、それと「コミュニケーション」とは関係ない話です。

正しいことをしていれば、コミュニケーションをとれるんだったら、誰も悩んだりしませんよ。

大義名分、ポジティブ発言も実は、そう変わらない

Twitter界隈で流行っているみたいだけど、そういうのって、コミュニケーション下手な感じがしますよね。

この場合は、悪口を使ってなくて、単に「大義名分」を使ってるのですが、「コミュニケーション」という観点で考えるべきことは同じで、「どこまで言ってもよいのか?というさじ加減」という部分です。

愚痴の反対?のポジティブ発言でも同じなんですが、さじ加減を間違うと、うっとおしいですよ。でも、ポジティブ発言を否定するのはネガティブなので、その間違いに気づかないんですね。

大義名分に反論するのも、正しさを否定してるという考えに縛られて、やりすぎ?とかそういう行為の間違いに気づきにくいんです。

言ってることが正しい程度では、そのことが正しいだけで、それに付随する行動などすべてが正しいわけではないということ。

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