創作には妥協が必要だが、妥協だけでは創作できない

クリエータ系作業を仕事としてやる場合はという話。

「創作それ自体を楽しみ、目的化しなければならない」みたいな信仰がある気がする。
それに対して、俺は一応あるジャンルのプロだけど、「絶対コレ嘘だ」って思ってる。
http://anond.hatelabo.jp/20131006154332

上記の信仰は、嘘だと気付くのが第一段階。そして、上記の信仰が嘘でなかったということに気づくのが第二段階。

中途半端な創作家は、意外と第一段階で止まってしまう人が多くて、それが真実かのようにふれ回る人がいるわけですが、実際にはそうでもないということ。

出来上がったものが、本当に「創作物」か?という観点を忘れてしまうんですね。目的が名誉だったり、金などにシフトしてしまったために、目が曇ってしまうのかもしれません。

何をもって創作物というのか?

創作物もどきと創作物を明確に区別する方法はたぶんないでしょう。

だからこそ逆に信仰が必要で、それが創作物と創作物もどきを区別しようという想いなのかもしれません。

商業的芸術と、純粋な芸術

純粋な芸術路線だと、たぶん、信仰を貫くのが容易に思うかもしれませんが、善意のパトロンがいないとたぶん無理でしょう。パトロンでも悪意がある人なら、信仰を貫くのは無理かと思います。


安易な結論は、重要なものが含まれてない可能性が高い

悩み、紆余曲折したうえでの結論でないものは、深い意味がないのかもしれないということ。

最初の例で、第二段階という話を書いたが、同じ発言でも、その立ち位置や思想によって意味合いがかなり違うということ。

で、批判的な人は、浅い意味のところで否定するわけです。まあ、なぜ深いところで否定しないかというと、否定しにくいのと、その信仰が邪魔だからだと思います。

信じないものを探しても、意味がない

信じるもの、信じたいものを探さないと、クリエイティブには馴れない感じがします。

まあ、一言でいうと情熱みたいなものだと思います。

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