ブログの記事は、料理の味付けのようなものだと考えたほうがよいかも

批判的なコメントは、やはりつらいものがある

ブログ書いたら、3つほど、批判的なコメントがついた
大した内容ではなかったが、結構心にグサッときた・・・
たまにネットで叩かれて自殺する人いるけど、もっと大ごとになったりしたら、こりゃ死んでもおかしくないわ
と思った
ネットで叩かれると辛いな

失恋したぐらいで落ち込むなとか、失恋したぐらいで自殺するなとかと似たような感じなんだと思いますね。

この場合だと、本気で人を好きになったことがあるのか?みたいな反論めいたことも可能だとは思うけど、そういうことを言い出す人には、そんこと言っても無意味なんですね。なぜかといえば、(自身が)理解しがたいものを理解しようとする努力をしない人たちだから・・。

実際に失恋してみても、なんとなくそういう人の気持ちが分かるかもと思う人と、そうでない人がいるという単純な話なんです。

また、実害がない系、スルー力とか言い出す人たちは、
他人が殴られていて、それを見てるのも辛いという現象を理解できないのかな?と思わなくもないんですね。

確かに、見も知らぬ人が殴られていても、自身が殴られてるわけではないので、物理的には痛くもなんともないし、実害もないような気はしますよ。

で、スルー力というのは、見て見ぬする対処方法だと思います。要はそういうのをみなければ、心理的にも痛くないだから。

でも、スルー力を押す人たちは、たぶん実際に見てても、心理的にも痛くない人が実は多いんじゃないかな?と思わなくもないんですね。


「見も知らぬ人」に置き換えてるのは、自身だとすぐに反論しそうな人たちはいそうな気がするんですね。うーん、反論しても、僕が書いている内容は変わらないわけだけど、反論しないと気分が悪い?とかなんだろうか?とも思うんです。

だから、そういう人間心理を無視して、実害がないとかスルー力とか言い出しても、無意味な気もするわけです。

人間には、感情があるんだから。感情は理性とは別の範疇にあるのだから。

ブログの記事は、料理

料理を作って、批判的なコメントは、作った本人が不味いとわかっていても、つらいものがあるというのと似たようなものかも。

料理の内容でなくて、他人からの対応がどうかってことで、ここで料理をレシピ通りにつくればとかいう話は、また別の問題かもしれないということ。

マズイというのは、中傷でなくて事実だとか、素直な感想、アドバイスだとか言い出すのは、なんか違うかな?という気もするでしょう。

でもって、マズイという感情や事実を伝えるにしても、伝え方も大事だというのも分かるでしょう。

受け止め方だけではないというのも、その通りでしょう?

そもそも、相手の気持ちなんて考えてはいませんという人には、何かを期待しても無意味なんでしょう。で、マズイ料理を食べさせられた俺の気持ちはどうなるんだというのは、本当は別の問題だということです。

ブログや記事の内容が、迷走しないためには

「自分でブログ記事として全世界に公開したんだから、誰が来ようと何を言われようと仕方がないだろ。それが嫌なら日記帳にでも書いとけ」


「道路という世界に公開されている公衆空間に出て来ておいて、話を聞くな、写真を撮るな、というのはおかしい」

なんて声はほとんどなかったように思います(有名税という話は少しありましたが)。

「ブクマ」で好きなコメントをすることは自由です。

しかし自分を含めた100の「ブクマ」が塊となって何かを壊しているとするなら、その塊の100分の1の責任があなたの「ブクマ」には含まれているのです。

「ブクマ」が壊すブログの平穏 - 雪見、月見、花見。

ブログを書いてる人は、引用先をみれば、共感できることも多い気はします。かなり昔?から同じようなことを言われてたわけですが、そのたびに、理屈を使って批判・反論されてきたわけですな。

だから、そういうのを読んで、行動を改めようと思う人はほぼいないんじゃないかな?と思うんですね。

■3日後あたりに対応したほうがよい

はてぶの場合、3日、5日、7日とかそういうあたりでひと段落ついてそれ以降はほとんどブックマークからの流入がなくなるからですね。

落ち着いた状態で、平常心で対応したほうが良いことのほうが多いということと、急いで何かをしてもそう結果が変わらないという部分を利用した戦略です。

何のための対応かといえば、周りからどう見えるか?という部分に対応する場合が多いと思うので、批判・非難する人たちを一人ひとり相手しても仕方がない気がします。

■記事の味付けを変えないほうがよい

誰かに、味が薄すぎるとか、塩がちょっと足りない感じとかいわれて、そうかな?とおもって、味付けを変えていくと、だんだんと最初よりも「マズイ」ものになっていく可能性があるからです。

何を書きたかったのか?何を言いたかったのか?を大事にしたほうがよいと個人的には思います。

追記や書き直しをしているうちに、違う料理、違う味付けになってしまってはダメな気がするわけです。

理想は、最初から誤読少なく、批判を受けないように書いておけばよい気もしますが、些細なことを誰も読まないだろうなという記事に意外と批判的なコメントが付いたりするので、事前対応というのが事実上無理な気もします。

追記する、書き直しをするとしても、批判に対してでなくて、自身が書きたかった内容に関して「追記・補足・書き直し」をすべきだということです。

■ブログのコメントは承認制にしたほうがよい
公開されないコメントは、書かれてないのと同じ。つまり、スルー力の応用です(汗)。

実際、返答に困るというよりかは、返答するのも、コメントを削除するのも、コメントをそのまま公開しておくのも、怖いような気がするコメントが書かれることがあったりするので、そういう時に対応に困ることがあるんですね。

私は、その場合は削除しますが・・・。でも、承認制にしておけば、怖いだけで葛藤することはありません。


■はてブは、一覧非表示にしたほうがよいかも
はてなブックマーク > ヘルプ > コメント一覧非表示機能について

上記の方法で、一覧非表示にすることはできます。
コメントを一覧表示できないので、ちょっと過熱度がマシな気もします。

この機能を使用した場合でも、ブログの管理者は実はコメントを一覧表示することが可能で「表示制御画面」というリンクをクリックすると、コメントを一覧表示で確認できます。

ただ、この機能をつかうと、批判的なコメントを探すのが難しくなる気がします。検索とかにも引っかかりにくい感じなので・・・。


■共感してくれる人相手と、そうでない人相手では書き方が違うと思う
「考え直してほしい」系の記事を書く時は、共感してくれる相手向けに書くのとは違う手法で書かないと、かなり相手に不快感を与えがちだとは思います。

共感ベースに人の心を動かす手法が、一般生活でのコミュニケーションでは有効なんですが、それは気の合わない相手とは距離を置くという部分があるからこそ有効なのだと思います。

あと、人は考えを、それも思想(ポリシー)にかかわる部分を変更することはマレで、1記事でそういうのを実現するのは難しいかと思う。


ネットでは、グローバルなコミュニケーション手法が有効なのかも




グローバルといっても、欧米系のグローバルなんだろうけど、そういうのがネットでも、有効なのかもとは思います。ネット上では、結局、同じ日本人?と言っても、地域や年齢、その他もろもろの属性があれば、グローバル扱いしたほうがよいかもということなのかも。

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