「危険とはいえない」と「危険かもしれない」の違いは、どこにあるのか?

※私は単なる一般人なので、感覚論で書いてます。

科学者が放射能騒動に関わらなかった理由 - ブログ版ききみみずきん - Yahoo!ブログ

単に立場の違いにあると思うんですね。

科学(者)の「危険とはいえない」というのは、一般人が考える「危険とはいえない」とは意味するところが微妙に違うのも問題がある気がします。

あと、科学(者)が「危険とはいえない」という発言は、その当時は正しかったという場合が過去にあるので、一般人はその意味するところを理解しにくい気もします。

一般人が、「危険とはいえない」=「安全だ」と理解していても、科学(者)は間違った理解ですと明言しない場合においては、「ポジショントーク」ではないか?と個人的には思うわけです。

ポジショントークになるのはある意味仕方がない面はあるかと思います。

「危険とは言えない」というのなら、「全くの安全だとも言えないわけですね」という理解は、間違ってるというスタンスなら、それはポジショントークなのではないか?と個人的に思います。


危険とはいえない

私もある意味、「危険とはいえない」と理解している面もありますが、「危険かもしれない」という思いもあります。それは、科学うんぬんよりも、リスク回避ですよ。

安全・危険の定義って、科学向きじゃないと思うんすね。
閾値をどの程度にするかというのは、価値観であって、科学者が決める問題ではないはずなので・・・。いうなれば、社会が決めるべき問題だと思います。

この閾値で考えると、危険とは言えないということだと思います。

100万人に一人死亡する程度では危険ではないとか
因果関係がわからないから、危険とはいえないとか
そういう話だと思います。

車が、飛行機が、電車が、危険だとしても、それは社会が認める範囲内に収まってるからこそ、危険でも問題ないというか、安全だと認識してるだけだと思います。

で、安全というのは、比較で決めれるものではなくて、あっちの方が危険なんだからこれは安全だというのは、社会というものを無視したものだと思います。

性質の違うものを比較対象とするのも、無理がある場合もあろうかと思います。飛行機の事故と、原発の事故では、影響範囲が全然違います。


方針について

どこまでを安全だと考えるかは、方針であって、科学ではないわけです。
科学はそれを(ある程度)の客観性をもって、根拠として提示する役目しかないと思います。

その根拠を納得するかどうかは、社会が決める問題だと思います。

科学なんだから、その根拠も正しいというのは詭弁です。正しいというのは、どの部分が正しいのか?ということです。

間違ったこという人は、非難されるべき?!

科学的根拠に基づいて、危険とは言えないというと、身に危険がというのは、
間違ったことを言う人は、非難?しても問題ないという意識があるからだと思うんですね。

でも、「危険かもしれない」いう立場の人でも、放射脳とか揶揄されて、かなりバッシングされてるんですけどね。


科学技術と科学について

これ、実際にはちょっと違うんじゃないかな?と思うんですね。

科学技術に対する不信は、そのまま科学に結びつくとは個人的には思えないわけです。
でも、科学者にとってはもしかすると同じなのでしょうか?

立場が違っても同じだと思うけど

NHKのデマ番組もそうですが「危険だと煽って間違っていても責任は取らなくて良い」という間違った感覚が、無駄なエセ正義を増幅させているんですよね。
科学者が放射能騒動に関わらなかった理由 - ブログ版ききみみずきん - Yahoo!ブログ

これ、「危険とはいえない」といって、それが仮に間違っていて責任取らなくてもよいというか、実質責任とれないと思うんですね。だって、その当時のある前提条件を付けた場合は、正しいわけですから。

でも、正しいのはその部分で、「危険とはいえない」という部分が「実は、危険でした」だったとしても、責任とれないと思います。

科学でなくて、医学の世界をみれば?

科学と医学とは何がどう違うかは別にしても、

医学の世界をみて、それも医者や学者でなくて一般人の立場で見た場合に、医学が、「危険とは言えない」とか過去に言われたことで、実際はそうでなかった例もあったのをみれば、科学だけ特別とかは思えないと思うんですね。

医学が?、医者が、嘘をついていたのか?といえば、そうじゃないんですよね? 正しかったんですよね?

一般人がきちんと理解できてなかっただけ?

もしかすると、正直ものはバカをみえるという、正しさとは別の現象何でしょうか?

信じるのでなくて、正しく理解できないのが原因なのでしょうか?

結論ありきの説明は、どの立場でもそう変わらないかもしれない

それが科学的に説明していたとしても・・・。

東京電力は、原発南側の放水口の近くの海で測定した、海水1リットルに含まれる放射性セシウム137の濃度について、おととしの5月から2年近くにわたって、1から10ベクレル程度と公表していました。
ところが、原子力規制庁の職員に指摘され正しく測り直した結果、公表していた値は、1リットル当たり実際より数ベクレル程度低かったことが分かりました。
東京電力は「測定時に周辺の放射線の影響を誤って見積もったために正しく測れていなかった」と説明していて、ことし6月以降は改善して公表しているということです。
東電 海のセシウム濃度を2年近く低く公表 NHKニュース

初歩的なミスなのか、そうでないのかは不明だが・・・・。
でも、高く公表される事例は過去あまりなさそうなところをみると、ミスの傾向は、実際よりも小さい値を出す傾向にあるかと思う。

ここで数ベクトル違っても、危険性(安全性)は変わらないというのは科学的ではあるが、その発言はどういう科学なのだろうか?



スポンサーリンク

コメントを残す

メールアドレスは公開されません。
また、コメント欄には、必ず日本語を含めてください(スパム対策)。