社会運動に必要なのは、単純明快なスローガンである

  • 投稿 : 2013-09-19
単純明快でないものは、非インテリ層の支持を得にくい

僕と同様に体罰反対派の人々のコメントを見て時たま歯がゆいなと感じるのは、例えば「体罰なんか使わなくても強いチームはいくらでもある」であったり「体罰を受けて体罰を肯定するようになる奴がまた体罰をするんだ」であったり、どうも体罰を撲滅しようという運動と並行して何らかの優越感を得ようとしているような人たちを見かけるということです。「あんなものを頼りにしている奴は馬鹿だ、あんなものに頼らずとも俺はやっていけている」というようなニュアンスが体罰ダメだよという至極真っ当な意見と同時進行で垂れ流されているということです。体罰無くす方向を作戦目標とした場合、上記のような考え方はぶっちゃけノイズだということを僕は言いたいのです。
まずは体罰の導入によってパフォーマンスが向上する事例があることを認めましょう - ←ズイショ→

体罰容認派も、体罰撲滅派も、結局は、論理はどうであれ、同じ方向の意見を持っている人たちに対してはスルーするんですよ。
少々、間違ったことをいっていても、納得できないことを言っていても。

認識を正しく持つことが目的でなくて、体罰を撲滅(または容認)する方向に、まずは持っていくのが目的なんだから。

正しい認識以外のはノイズだ?!

これ、たぶん、社会運動?向きの思想じゃないと思うんですな。


現状容認はのほうが、論理は作りやすい

一部否定の論理は、現状容認派にとって有利な手法なので、たしかにxxxxは悪いけど、それはこの部分が悪いのであって、体罰全体が悪いとはいえないとかそういう論調に流しやすいわけです。

で、現状容認派でない人たちがもし、一部否定の倫理を使って主張すると、対抗できないんですね。体罰の効果があるのは認めるが、でも法律で許されていないからダメだとかそんな論調では、厳しいと思います。


社会運動は、非インテリ層の支持を得られるかどうかで勝敗が決まると思う

インテリがいくら理屈っぽい、小難しい論理を展開しても、無理なんですよ。選挙運動とかみれば、よくわかるでしょう。

スポンサーリンク