世界の99%の人は実は、「井の中の蛙」です

  • 投稿 : 2013-07-26
  • 更新 : 2014-07-01
数あるエントリーに対して、多くの意見、多くの罵詈雑言、などなど。
ほとんどの人間が、今まで自分が見てきた世界=常識、だと考えてやまない人間ばかりだから
こうなる。
おめでたいよほんと。もっと世界は広い。
多くを見て学べば良いのに。
はてブは井の中の蛙の集まり

世界という名の「部分集合」

世界の99%の人は実は、「井の中の蛙」です。

世界が地球で人間が生存している地域だと仮定しても、とんでもなく広いわけです。また実際の空間の広さ以外にも、思想的な精神的な広さなどもあるでしょう。


世界というのは?

世界というのは、多数派のこと?
世界というのは、強者のこと?

常識というものが、最大公約数的な一致だと仮定すれば、世界という名の常識は、どういうものなのでしょうか?


常識の対立

海外では、これが常識だとか、北欧ではこうだとか、日本だけがこんなことをしているとかいう論調に逆らえる人はそんなに数多くいません。それには、トリックがあるからです。

単に日本と違うという部分が事実で、どの程度それが「世界の常識」と言えるのかがはっきりさせることができないからですね。

また、この論調はずるい側面もあって、

都合よく世界の一部を切り取って、それを常識とすることができるという点と、またそのやり方が使えないときは、日本独自の文化は素晴らしという論調を使うことが可能なのです。

要は、自己の主張を強化するための道具として、便利に使えるということです。


また、常識とかマナーって、権威ある人が言い出したら誰も反論できかねない性質がある時があるので、世界の広さと関係ない気もします。


「井の中の蛙」の問題点

世界を知っているという人たちの一部も「井の中の蛙」状態なわけです。

それは、「相手を理解しようとしないという態度」に現れてくるわけです。

そういう人たちは、切り捨てるための論理を多用します。

「井の中の蛙」というのは自身を恥じるための言葉であって、他人を「井の中の蛙」と決めつけて排除するためではないからだと思います。

井の中の蛙大海を知らず、「されど、井戸の深さを知る」

ことわざの続きが気になって、色々検索してみましたが、少しずつ違っていて正しい続きが分かりません。

例:「~されど空(天)の青さ(深さ)を知る(知れり)」「~されど天(空)の高さを知る(知れり)」「~ただ空の深さを知るのみ」「井の中の蛙大海を知らず……」続きについて教えて下さい - 国語 - 教えて!goo
表面上の言葉に、縛られてはいけないと思います。
日本の誰が後半部分を創作したのかはわかりませんが、いろんなバリエーションがあります。

言葉に縛られるだけでも、「井の中の蛙」と同じ状態になりかねません。

多くを見ても、本当は学べない

故郷よりも遠くへ向かう人生と、故郷に戻ろうとする人生 | ただの通りすがり

学ぼうという姿勢がなければ、学べない。
それは、相手を理解しようと思わなければ、相手を理解することができないから。

別に多くを見る必要なんて、ないのかもしれないというのもありますが・・・。

また、何を学ぶかというところのほうが、多くを見ることよりも重要な気もします。

視野を広く?!

どこかの界隈で、観測範囲の問題とか言われていたものだと思います。

「そういうのは、どこどこしか見てないから言えるんだよ」的な感じで、すべてを否定する方法論ですな。

しかし、一部でしか観測されない事象でも、そのことが問題かどうかは別なので、全否定できるほうが視野が狭い感じもするわけですが、多くの人はそうは思えないのかもしれません。

「広く」と「深く」とは同じようで違うという感じでしょうか?

視野を広く持ちなさいと人(他人)に助言する人は、自身は、視野を深くする努力が必要なのかもしれません。

おや、おかしいな?と感じたら

思考停止しないでください。

今まで自身が見てきた世界は、その人自身であり、その人の文化なんです。

こういう考え方もありますよというのと、こっちが世界の常識だというのとでは、違うとおもいませんか?


「井の中の蛙」のほうが、新しい世界を作り出す可能性がある

若者は、多くの場合は世間知らずなわけです。その状態を「井の中の蛙」というようです。

しかし、実際、世界の変革?をもたらしてきたのは、若者なんです。

でもって、その若者をいつも非難するのは年配者なんです。

どちらが常識に縛られてるか?

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