ルーチンワークのような無意味な生活の積み重ねが、生きる意味や存在理由を作るのかもしれない

存在理由がないことに気づくとますます毎日が無味乾燥に感じられて何もする気が起きない。
http://anond.hatelabo.jp/20130620120542

周りに流されたり、ルーチンワーク的に生活したり、無気力に過ごしたりすることは、悪いことではないと思う。どちらかというと、豊かだから「生きる意味」や「存在理由」を考えられる余裕みたいなものがあるのだと思う。

まあ、心に余裕がないからそういう発想になるといえなくはないが、実際はそうではない。生きるのが必死で、生活するのが必死な場合は、考えたり疑問を感じたりする暇も余裕もないことが多いからです。

充実した生活を過ごしたいという妄想

これって、海外留学したら、世界一周したら、何かが変わるかもしれないとおもうような妄想。

変化を外部的要因に頼っている時点で、何も変わらないのです。多くの場合は、変わりたいという気持ちと、それを実践する力によってしか、人は大きく変わることはありません。変わりたいという気持ちだけでも、変わりません。

外部要因で、強い衝撃をうけると、なにか悟った気がするが、たいていは勘違いなことが多いわけです。詐欺師たちがよく使う手法の一つでもあります。


意味のある生活、存在価値のある人

これも、妄想だと思う。妄想が言い過ぎなら、主観に作用される部分が多いので、そのことにこだわることは何もないってことです。

世の中の不条理や、世の中の先行きがよくないこと

「現状の満足できない心」をそういうのに結びつける人が多いが、実際にはあまり関係ない。

世の中が豊かで、平和でも、結局は変わらないから。
この場合は、世の中が豊かで平和なのに、僕の心の無味乾燥は絶望的に不幸だという感じにすり替わるだけだから。


積極的に、死なない理由

不可逆だからです。死んだら、(たぶん)生き返れないから。


時間がかかる

積み重ねがなく、何かが変化したり、何かが得られたりすることは、あまりない。
その積み重ねが、平凡で意味のないものであったとしても、そういうものがないと、意味も理由も作られない。

たとえば、成形してイケメン(美人)になって、一瞬で人生を変えようとしても、イケメン(美人)に合う性格と考え方も同時にないと、あまり変わらない。周りの扱いだけでは、ダメだということ。

うーん

使い込むほど、風合いが出てくるものがあるわけですが、使い込むことに意味があるか?ってことです。でも、使い込まないと、風合いが出てこないんですね。でも、人工的に風合いを出す方法もありますが、それでも使い込んで出てくる風合いのほうが価値があるか?とか・・・。




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