社会人としてやっていけるか?と悩む前に、考えてほしいこと

  • 投稿 : 2013-06-12
  • 更新 : 2014-11-17

本記事は広告およびアフィリエイトプログラムによる収益を得ています

・周囲がやっていることがバカみたいに思える(素直さの欠如)
・自分がやっていることを人に知られるのが嫌い(報告連絡相談能力の低さ)
・放っておいてほしい(自信・協調性のなさ)
・誰かを尊敬したことは一度もない(共感力・同調性の弱さ)
・何事も協力してやるより、一人でやったほうが質も高いし早いと思っている(他者への信頼の低さ)
・誰かとわかりあえたことなどない(自己開示能力の低さ)
・計画を立てない(真面目さの欠如)
・変わろうとしない(成長能力の低さ)
・自分はやればできる。やる気がでないだけ(努力する能力の低さ)
・口には出さないが、自分には他の人にはない才能があると感じている(幼稚さ・世間知らず)
https://anond.hatelabo.jp/20130611130854
会社に勤めて、数年たてば、世俗に汚れて、99%の人が社会人になるので、何の心配もいりません。
ただ、理不尽さを感じるとか、なんか損してるとかそういう意味で、社会人に向いてないのでは?というのはまた別の次元の話だと思います。

社会人ってなに?

社会人というのが、いつの間にか会社員(サラリーマン)のことになりつつある世の中です。要は、人に雇われてその中でうまくやっていけるかどうか?ってことだけなんですね。

ここでも、弱肉強食の力関係が大いに関係があって、力がある人たちは社会人失格の要素があっても、平然と会社員をしていけます。このことを忘れてはいけません。

要は、処世術がうまいかどうかだけの話で、社会人として立派かどうかなんて全然関係ないんですよ

ホウレンソウ(報告・連絡・相談)は重要

これが、テクニックなので誰でも身に着けることができます。平社員にとってはそんなに難しいことではありません。

問題になりそうなことは、責任を回避したり、押し付けるために、ホウレンソウをしておけば安全だという思想のもとに行動すればよいだけです。

でも、ホウレンソウをきちんとしても、能力が低くて迷惑かかる人たちは、結局はホウレンソウできてないって叩かれますよ。

それか、いちいち報告するなとかそういう感じで扱われるので、逆に追い込まれるような方向になりがちです。

心配しなくても、ホウレンソウをきちんとできてる人は会社員の半数程度です。能力のある人の中には意外とホウレンソウができない人たちが多いです。しかし、困るとしても仕事をこなしてしまうのであまり問題にならないんですね。

能力のない仕事のできない人の場合は、かなり問題になります。しかし、3年以上たっても、できない人たちは意外といます。

仕事はある程度こなせれば、ある程度は許されるし、居場所は確保できる

結局は、周りにとって迷惑になるか、そうでないかが、社会人としての基準として利用されているだけなので、仕事をある程度できれば、問題ないんです。

もちろん、嫌がらせや妬みなどが発生するかもしれませんが、仕事ができないよりかは、地位が安定します。

共感力、協調性、コミュ力

こんなのは、後付論理です。これを真に受けても、現状がよくなる人は1割程度しかいないと思います。

迷惑かかる人は、そんなの関係なしに排除したいと思うからです。

ただ例外があって、仕事ができないけど、「共感力、協調性、コミュ力」を使って、居場所を確保して、まわりからの批判も巧妙にかわしている人たちもいます。でも、それは、一種の天性の能力だと思われるので、マネして急に身に着けられるようなものではありません。

仕事力

・成長能力
・真面目さ
・努力
・謙虚さ

多くの要素は、仕事力というものです。単に仕事ができるかどうかの話で、その要素として挙がっているわけですね。ただ、要素を満たすように頑張っても、仕事ができるようになるかどうかは別なんです。

ただ、仕事がある程度(最低限)できないと、ダメだというだけの話です。

仕事=学業
会社=学校

とかに置き換えてもそんなに変わりません。

ただ、会社のいいところは、孤立しても仕事さえこなしていれば、なんとか居場所があることです。また人間性も全然要求されません。それは、仕事ができない、社会人失格な人間には、厳しい現象をみれば、よくわかると思います。人間性が要求されるのなら、そのような排除行動は起こらないはずです。



長いものには巻かれろ

社会人論の多くが、結局は長いものには巻かれろなんですね。能力のない人、立場の弱い人における処世術なわけですが、いつの間にか社会人なら、こうあるべき論にすり替えあっているだけなんです。

能力のある人、立場の強い人たちは、そんな社会人論の枠から外れているので、上がっている条件もほとんど満たしません。


理不尽に耐える力、理不尽に対抗する力

一番楽なのは、理不尽さを感じても、何ともおもわないことです。

世間知らずということで、理不尽さを感じないのなら幸せなんですが、通常、世間知らずというと、その程度の理不尽さは許容すべきだとかいう論調に使われるわけです。

社会人としてやっていくためには、理不尽との付き合い方が大事なんですね。

社畜という言葉がありますが、その状態が理不尽だと思わなかったら、意外と幸せなんですよ。

よく、会社によくしてもらったとかいう研究・開発者がいますが、あとでその価値がどれだけあるかとか、本来はどの程度の報酬をもらうべきかなどの外部知識を手に入れた途端、コロッとかわるのをみれば、「理不尽」というのは、まずは当人がどう感じるかに依存してることがわかるでしょう。


割り切りが大事かも

感謝はしてるけど、これは別だとかそういう感じの割り切り方ですね。

割り切りが無理な人は、自分にとって便利な論理を手に入れることです。たとえば、会社に受けた恩は、世の中に還元すればよいとかそういう論理です。
スポンサーリンク
タグ#雑談