正しさの鎖に繋がれると、幸せになれない 【正しさの正しくなさ】

正しさに溺れると、問題を解決できない

「うちのお店は、某チェーン居酒屋なのですが、レビューでは基本悪いことしか書かれないんですよ。手前味噌ですけど、うちはスタッフみんな一生懸命やっています。ですが、こちらも人間がやっていることなので、対応が遅れたりしてしまったり、オーダーを間違えてしまったりすることはごくたまにあります。でも、そんなときだけはバッチリ食べログに書かれちゃうんですよ……。じゃああなたは普段の仕事でもまったくミスもしない完璧人間なんですか?』とか聞きたいくらいですよ」
http://nikkan-spa.jp/416546

間違えたり、失敗しても、その後の対応次第のことが多いと思います。要は、不満を残さないでお客を満足させれば、食べログに(店側にとって)悪いことを書く人はもっと減ると思います。

失敗しない人はいないけど、客商売してる人は、後処理が上手くなければダメだという観点が、「正しさ」の鎖につながれていて、気づけないんでしょうね。

正しすぎることは、間違っていると思ったほうが良い

独身者と子供のいない既婚者ばかりの職場で、保育園の迎えがあるから帰ります、と言うのがストレスと言うと、そんなことを気にするのは間違っている、君はやらなきゃいけないことをしているだけなんだから気にするな、と励ますように諭される。嬉しくない。正しすぎて辛い。
夫はパーフェクトな人間ではない。本人もそう思っていないだろう。だからこそ、こんな僕でもできている最低レベルのことは、誰にでもできるはず、と無邪気に信じているのが辛い。


隣県の実家に電話して、母に保育園の迎えを頼んだ。どうしても仕事が終わらないの、8時には何としても帰るから。いいよ、夕飯準備しておくよ。遅くなったら寝かせておくよ。あなたの体調は大丈夫なの?と言ってくれた。電話を切ってからめそめそ泣いた。文字通り甘えてるよなあ。
夫は何も悪くないのに、正しすぎて、一緒に暮らすのが辛い。私ももっと正しくなりたい。
http://anond.hatelabo.jp/20130409224032

正しすぎることは、ほぼ間違っていると考えたほうがよいと思います。間違っているというのが言い過ぎなら、問題解決には使えないという風に考えたほうが良いと思います。

「正しさ」は、行動するための心の支えになりえても、そのこと自身が問題を解決することはマレです。また、「正しさ」に従える場合は、心の支えになりますが、従えない場合は、逆に追い詰められて不幸になりがちです。

「正しさ」にこだわる必要はないんです。


正しいけど、どうなんだろう?という人はたくさんいる

たとえば、保育園の迎えがあるから、帰りますというのを遠慮がちにいう人と、当然の権利だと思っていう人とでは、周りの反応がやはり違います。

当然の権利ですけど、迷惑かけてすみませんねという風な感じでないと、周りの人とはうまくやっていけないわけです。

もちろん、当然の権利ですといってやっても周りとうまくやっていける人もいます。それは、その人に力があるからです。周りを黙らせて従わせる力があるからです。

結局、この手の問題で、「正しさ」なんて大した意味はないということ。

意味があるとするのなら、「正しさ」を押し付けあう力関係だけ。強い方の「正しさ」が採用される。立場の弱いものにとって、「正しさ」はあまり意味を持たないことの方が多い。


気持ちには、正しさとは関係ない部分がある

甘えはダメだとか、正しくないことはダメだとかいうのは、立場の強い人達にとって便利なので、それを正しさの基準にしただけと思ったほうが良いと思います。

人間関係、それも夫婦関係において、そんな「正しさ」はありえない。

人間関係において、「正しさ」の鎖につながれた関係は、多くの場合、ダメだろうし、立場の弱い側はたいてい不幸になる。

多くの場合は、「正しく」なくても、自分自身の気持ちを相手にぶつけることで何らかの改善がみられることも多い。夫婦喧嘩は、「正しさ」のジャッジメントを必要としないという点を考えてもよくわかるだろう。


正しさに縛られてはダメな事例

使えない奴を使えるようにするのが新人教育
教育

正しさを捨てないと、人を救うのは難しいというのが現実
人助けをしたい場合

逃げを認められないのは、コミュニケーション下手に多い
人間関係の構築

社会正義と「技術的正論」「法律的正論」との関係について
正しさの適用範囲

ヘイトスピーチを批判するとヘイトスピーチになりかねないというジレンマ
批判

社会の治安を維持するために、「正しさ」を押し付けられた教育を受けていると考えたほうが良いと思う。

その証拠に、「正しさ」には反論ができないと思い込まされている。しかし、実際にはできる。それは欧米の人たちを見ればよくわかるかと思う。

「正しさ」というものでさえ、道具の一つであって、その道具に振り回されてはダメだということです。


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