「好き=会話を継続できること」であると、楽しみを共有しやすい

たとえば「読書が好き」という。
すると「年間何冊読んでるの?」と聞かれる。
「読むの遅いから月3冊で…まあ40冊いかないくらいかなあ」と答える。
次に来るのは「えっ、そんな少ないのに読書好きって言えるの?」


自分は「読書が好き」としか言ってない。
本を読むのが好き。

でも「そんなので読書が好きって言えるの?」っていうのは、どういうことなんだろう。
好きというのに資格がいるんだろうか。
読書にかぎらず、漫画でも、アニメでも、ゲームでも。詳しくないと好きと言っちゃいけないんだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20130419120014

楽しさを共有しにくいだけで、好きには資格はいらないと思う。

引用先の例だと、どっちが悪いとかでなくて、どっちもどっちだなと思う。

たとえば、相手が読書好きでなくて、引用先の様な言い方をする場合でも、読書の楽しみをどんな形でも伝えられるのなら、いいんじゃないかな?と思う。

その場合、知識量とかうんちくとかでなくて、「話す熱さ」みたいなもので評価する気がするとおもうし、聞き手側としてもよくわからなくても、好きなんだなというのが良く伝わると思う。

詳しい人でも、自己満足気味な感じで、一緒に話していて楽しくない人がいるのも事実。でもって、うんちく自慢であって、本当に好きなのかな?と疑問を持つこともある。知識量で、好き嫌いが決まるわけではない。

人でも物でも同じだと思う

ひそかに思う好きもあるだろうし、誰かと共有する好きとかもあるかと思う。

片思いでも、好きには違いなんだから。

勘違いでも、好きには違いない。

好きな個所を具体的にあげられなくても、好きには違いない。

詳しくなくても、フィーリングだけでも、好きには違いない。


私のことが好きなら、好きな個所をあげれるはずだとか
私のことが本当に好きなら、もっと私のことについて詳しいはずとか
もあるけど、一概にそうだとは言えないのと同じかと思う。

でも、そういう受け答えに、
一概にそうは言えないとかそういうことを言ってもあまり意味がない。

パソコン詳しいですと同じだと思う

「パソコン詳しいです」といったら、

「えぇ、その程度で詳しいと言えるの?」

って感じじゃないかな?

じゃぁ、どのぐらいなら詳しいと言ったらいいの?とかそういう方向に考え出すと、なんか違う方向に行ってしまうと思うんですね。

子供は違う

好きに、理由や資格がいるという発想は、大人ならではだと思う。

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